小説にいちばん近いルポ
公開日:
:
高野秀行の【非】日常模様
日本に移り住んだ外国人の食生活を追った『移民の宴』。「おとなの週末」で連載したものを大幅に加筆修正し、
昨晩、無事入稿した。
最初から「取材」として始めた、いわば本格的なルポは初めてだ。主人公も自分ではない。いろいろと戸惑うことも多かった。取材したら絶対に原稿を書かなければいけないというのが
いちばん困った。
ライターとしてならもちろん前にたくさんやっているし、別に難しくない。というか、一瞬で終わる。そこに高野本的なストーリーを紡ぎ出していくのが難しい。
まじめに書いていくとKさんに「笑いがない」と突っ込まれるし。
毎回、担当編集のKさんに「何も思いつかないんですよ」と電話やメールで愚痴をこぼし、仕事場のドトールで構成に頭を悩ませながらいつの間にか意識を失っていることもしばしばだった。
ドトールの店長が「高野さん、お疲れのようですね」と何度も声をかけてくれた。入店して数時間、一行も書かずにテーブルに突っ伏して寝ているのを見たら、誰でもそう思うだろう。
でも、実際は疲れる前に倒れていたのだった。
ところが面白いことに、ずっと考えていると(寝ていると)、あるときフッと思いつくのである。思いつくというのともちがうか。
なんだか「書きたくなってくる」のだ。
で、書き出すとすすすっと進んで、ピタッと着地する。それしかないというピンポイントに落ち着くのだ。
そのときは得意になり、「なんだ、俺、やればできるじゃん!」と一人で悦に入ったりするのだが、次の取材が終わるとまた同じように頭が真っ白になり、
パソコンを見ても意識が混濁するだけという状況になる。店長が「高野さん、お疲れですね」と気の毒そうな顔をする…
その繰り返しだった。
うまく言葉で説明できないが、この感触は「小説を書いている」感じに近いという直感がある。この前出した自伝的な小説「またやぶけの夕焼け」よりずっと「小説を書いている」という気持ちが強かった。
どうして初めて本格的なルポを書いているのに小説に近いのか。そう言われても困るのだが、短編小説はこういうふうにして書くような気がしてならないのだ。
わけがわからないと思われる方、実際に読んでみてください。
11月下旬に講談社から発売予定です。
関連記事
-
「酒飲み書店員(中略)大賞」に選ばれた!?
最近人づてに聞いたのだが、拙著『ワセダ三畳青春記』が「第1回 酒飲み書店員共同企画文庫ベストセラー
-
3月〜4月の講座とトークイベント
3月から4月にかけて、私が出演するイベントのご案内です。 3月23日(月)19:30〜 ジ
-
常識がひっくり返るドキュメンタリー「えんとこ」を見るべし
12月6日(月)、13:00より、ポレポレ東中野で「えんとこ」というドキュメンタリー映画が特別上映
-
一言でいえば飲みすぎ
月曜日は、先日急逝した堀内倫子さんを偲ぶ飲み会を催した。 親しい友人、ご兄弟、それに彼氏だった人も交
-
「移民の宴」ソマリ篇?
長生きはするものである。 かつてレトルトカレーを「めんどくさい」という理由で温めずに食っていた
-
加点法の偉大なる記録
最近私が島田荘司を強力に勧めたため、友人の二村さんが読んでみたらしい。 で、答えは「島田荘司は減点
-
大脱出記を生かすも殺すも表現次第
なぜかよくわからないが、小説では「表現」や「いかに書かれているか」が問題とされるのに、 ノンフィク
- PREV :
- ロンドンのカート居酒屋と在仏ルワンダ難民のワイン
- NEXT :
- 雑貨のような本