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今明かされる「野々村荘秘話」

公開日: : 最終更新日:2012/05/28 高野秀行の【非】日常模様

  新国劇の島田正吾が亡くなった。
 「新国劇」など、私には何の関わりもないと思うだろうが、多少の縁はある。
 島田正吾は、沢田正二郎、辰巳柳太郎とともに、私が11年住んでいたワセダの「野々村荘」に毎日通っていたことがあるのだ。
 「ワセダ三畳青春記」のあとがきにもちらっと書いたことだが、野々村荘(これも仮名だが)は戦前は、あの未完の大作「大菩薩峠」の作者・中里介山の住居だった。
 「大家のおばちゃん」のお父さんが中里介山の従兄で、商売(何かの問屋だったと思う)がうまくいっているときはまだ売れなかった時分の介山を援助していたが、 店が傾いて
倒産してしまい、逆に介山のところ(すでに「大菩薩峠」を書いて売れっ子になっていた)に身を寄せた。そして、そこにあった下宿屋を引き継いだ。
 ちなみに、最初の下宿屋は、明治時代に建てられたものですべてベッド付きの洋室個室だったという。それが何かの事情で立て替えられて、六畳一間の和風の下宿屋になった。今の野々村荘(三畳か四畳半)はだから三代目であり、明治から立て替えられる度にどんどん文明度が落ちているのだ。
 さて、今の野々村荘は、大家のおばちゃん宅と隣接しているが、当時は位置関係がちがった。下宿屋は今の野々村荘(つまり介山宅)を取り囲むような形だったらしい。
 けっこう大きな下宿屋だし、戦前の話だから、若い女中さんがたくさん勤めていた。
 もっとも、介山が手を出したことはなかったようだ。
 介山は一生を独身で貫き、本によれば「女嫌いだった」と書かれているが、おばちゃんによれば「あら、女嫌いなんかじゃないのよ。あの人はね、人妻キラーだったのよ!」とのことである。
 介山の「大菩薩峠」が大ヒットすると、新国劇ではどうしてもそれを自分たちのところで芝居にしたくなった。しかし、偏屈な介山がなかなかウンと言わない。
 そこで、沢田正二郎を筆頭とする新国劇のスターたちが介山宅に日参し、お願いした。
 私には想像もつかないが、当時の新国劇の人気はすごくて、今でいうならSMAPレベルだったらしい。
「沢田さんたちが来ると、下宿の女中さんたちがキャーキャー騒いで仕事にならなかった」とおばちゃんは言うが、「あたしも一緒にキャーキャー言ってたけど、うふふ」とのことだ。
 血のなせる業なのだろうか。
 おばちゃんの亡くなったダンナも文芸の人だった。
(ダンナとおばちゃんは従兄妹同士。だから、両方とも介山と血がつながっている)
 特に演劇が好きで、戦争中も日本語教師としてボルネオへ派遣され、そこで紙芝居などを使った授業をしていたらしい。
 復員後、ダンナ(仮に野々村さんとしておく)は、自分で劇団を始めた。
「野々村一座」である。
 私が「三畳記」で書いた人々が「野々村一座」みたいだが、実はもっと昔に本物の野々村一座があったわけだ。
 多摩地区を中心に、ドサまわりの興行を行い、おばちゃんも衣装を縫ったり、雪のシーンで紙ふぶきを飛ばしたりしていたという。
 劇団は何年かやったらしいが、鳴かず飛ばずで結局解散。おばちゃんはまた新しくアパートを建てた。それが私がお世話になった野々村荘だ。昭和30年のことである。
 まだ、話は終わらない。
 いっぽう、野々村さんはマスコミに就職することになった。
 しかし、かなりアクの強い人だったらしく、面接でとうとうと自分の演劇理論を語り、しまいには面接官をバカ呼ばわりしてしまうので、なかなか合格しない。
 だが能力は高かったので、最終的に創生期のフジテレビに入社した。
 当時、フジは日本のテレビで初の「一時間ドラマ」に挑戦しようとしていた。
 それまでは30分以上のドラマがなかったらしい。
 そして、野々村さんがそのディレクターの一人に抜擢された。
 おばちゃんもタイトルまでは覚えてないが、「松本清張のシリーズだった」という。
 野々村さんは瞬く間に芸能界の中心人物になってしまった。
 だって、ドラマがいくつもない時代の売れっ子ディレクターなのだ。
 野々村家には、毎日、芸能事務所の社長や有名俳優たちが挨拶に訪れるようになった。 「映画やテレビの中でしか見ない俳優や女優がうちに来るから、びっくりしちゃった」とおばちゃんは語る。
 おばちゃんは何人か名前をあげたが、古い世代だし、もともと芸能界音痴の私には馴染みの薄い名前だったので、忘れてしまった。でも、二人ほど私も知っている大物女優がいたと記憶する。
 彼らはよく間違えて、隣の野々村荘に「ごめんください」と入り込んだという。
 同時に、野々村家はフジのドラマ・ディレクターや映画監督たちの溜まり場となった。
 特に、「三匹の侍」「極道の妻たち」の五社英雄、高倉健の新網走番外地シリーズや最近では「鉄道員(ぽっぽや)」を撮った降旗康夫らが毎晩のように来て、酒を飲みながら徹夜で、演劇や映画の議論をしていたという。
 信じがたいことだが、野々村荘の大家宅(つまり、おばちゃんち)は、日本の芸能界の一大名所だったらしい。
 最後にいちばん信じがたい話を披露しよう。
 野々村さんが人気の絶頂にあった頃は、いろいろな人が「うちの娘を歌手にしてほしい」「うちの娘は女優に」と連れてきた。
 その中に、浅草で飲み屋をやっているおかみがいた。おかみが連れてきた娘は当時、まだ小学生の少女だった。
 その少女について、おばちゃんはこう言う。
 「見た目もあんまりかわいくないし、話し方や仕草もパッとしない。でも、主人が試しに芝居の台本を読ませたらね、これがまあまあうまいのよ。それじゃ、まあ、ちょっとお預かりしましょうってことになったけど、うちに住まわせる場所もないから、西早稲田を出たところにパチンコ屋があるでしょ? あの二階に預けたのよ」
 その娘は野々村さんの引きで芸能界に入った。
 当然ながら、最初は子役から始めた。
 正月になると、おばちゃん宅に来て、おばちゃんに着物を着せてもらい、それからプロデューサー宅など、あちこちのお得意に売り込みを兼ねた挨拶まわりをするのが毎年の行事だった。
 その少女とは誰か。幸いにも私ですらよく知っている人だった。
 ていうか、たまげた。
 三田佳子なのだ。
「えー、マジ!?」と私は叫んでしまいましたね。
 三田佳子という芸名自体、野々村さんがつけてあげたものだという。
 驚くべき話だが、三田佳子の話になると、おばちゃんはとたんに機嫌が悪くなった。
「あの子は、あたしたちがあれだけ面倒を見たのに、売れるようになったらとたんに、挨拶にも来なくなって、主人がなくなったときも、お葬式にも出なかった…」
 ちなみに、野々村さんの葬儀は、フジの社葬で、二千人以上が参列したという。
 しかし、真に驚くべきは大家のおばちゃんである。
 中里介山から始まって、これまでの人生で日本でも屈指の有名人を身近に見続けてきたのに、私や後輩の中江が探検部という一大学サークルの長をやったことがあるというだけで、「あたしは幸せ。うちのアパートに住んでるのは、えらい人ばっかり」と満足気な笑みを浮かべていたのだから…。
 知られざる「野々村秘話」でした。
(まだ、未読の人は早く「ワセダ三畳青春記」を読みましょう)

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Comment

  1. 太郎 より:

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    高野さんの周りの人はもしすると普通の人は限りなく少ないのかもしれませんね。 私も日本にすむ事があったらぜひ、野々村荘に住みたいですね。
    1年分の家賃を払っても惜しくはない(と言うか、そんなに高くはないだろうから)。 高野さん、野々村荘に部屋が空いてたら連絡願います。 家賃1年分先払いで予約します。 いつまでもG.CAT(GOTO CITY AIR TERMINAL)、別名GOKIBURI CITY AIR TERMINAL では寂しい。
    一度、高野さんの学生時代の話をおばちゃんから酒でも飲みながら聞きたいですね。 (今と余り変わりないか ?)
    太郎

  2. クリス より:

    AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727)
    う〜ん、し、知らなかった。 西早稲田に住んで数ヶ月にもなるというのに……。 慶應を中退し、紆余曲折を経て、大隈講堂と毎日出くわす身になった自分だが、まだまだ早稲田を知らないことに気づかされた。
    こんど、どこにあるのか探してみよう(^ ^;)

  3. おぎょぎょ より:

    文庫では語られなかった裏話と逸話、面白いですね。それほどの歴史や文化の舞台だったとは・・・!

    神保町の本屋でたまたま手にとった『ミャンマーの柳生一族』でハマってしまい、ただいま私の中で高野さんブームが吹き荒れています!
    私自身も元ワセジョで今は早稲田に住んでいるので、『ワセダ三畳青春記』は個人的な共感を持てましたし、男子学生の青春を追体験できて楽しかったです。最近は町内をニヤニヤしながらクルミの木を探して歩いてます。

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