野口英世は史上最強の日本人探検家!
公開日:
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最終更新日:2012/05/28
高野秀行の【非】日常模様
高野秀行公式サイトへようこそ。
ここでは私の日常模様を書くことになってるのだが、私の日常は「飲む、食う、寝る、読む」の四大欲求に「書く」という義務がささやかに付け加えられているだけで、さして見栄えはしない。
なので、てきとうにその都度感じたことなどを書くことにする。
初回は時節柄、野口英世について。
私は世間に疎いので野口英世が新しく千円札になるなんて、全然知らなかった。
新聞でそれを知って驚いた。というのも私は前々から野口英世に強い関心を抱いていたからだ。
偉人としてでも医学研究者としてでもない。
彼は「探検家」だと私は思っている。
それも「史上最強の日本人探検家」だ。
そもそものきっかけは、「どうしてオレのやってることは評価されないのか?」という疑問、というか腹立ちからはじまった。
アフリカ・南米・アジアの本を日本で売ることは難しい。
以前、足掛け六年もかけてビルマ(ミャンマー)のワ州というゴールデン・トライアングルの核心部へ入り、半年ほど暮らしたときも、それが世界最初の快挙だあ!と私がいくら言っても誰も相手にしなかった。
「それが日本とどういう関係があるの?」
どこの雑誌の編集部でもそう言われた。
「いえ、特に関係ないです。ただ世界に関係があります」と答えたが、それではダメなのである。
あーあ、日本はやっぱ閉じた世界だ、嫌だ嫌だ…と思ったものだ。
なんとか草思社から単行本を出したが、一部でしか知られていない。英語版も出したが、アメリカのディストリビューター(取次ぎのようなもの)が倒産、その他トラブル続出でうまく流通していない…。
ところが、欧米人は全然ちがう。
私の友人であるアンドリュー・マーシャル(TIMEのライター)は「Trouser People」というミャンマー旅行記を書いて、トーマスクック紀行文学賞候補となった。もちろん、本は売れて、単行本はすぐにペンギン・ブックスに入った。
彼は私の本を高く評価していて「おまえの本は百年後には古典になってるぞ」とか言っていたが、奴の本はすでに古典の仲間入りをしようとしている。
ずるい。
さらに、アンドリューの元・彼女で、これまた私の友人であるサラ・ルーニー(二人とはまったく別々に知り合った)は、タイトルは忘れたが、やっぱりミャンマー旅行記を書いて、最近出版した。
彼女はジャパン・タイムズや香港のSouth China Morning Post に私の本の書評を書いてくれたから、てっきり「いい人」だと思っていたが、この前バンコクで会ったとき聞いたら、「契約金で出版社から5万ドルもらっちゃった! これで2年は遊んで暮らせるわ」とか言ってたので、全然いい人じゃないことがわかった。
ま、それは冗談だが、5万ドルはすごい。日本円で600万円近い。ふつう、日本でこの手の本を出したら、初版で100万行くか行かないかである。しかも、彼女の場合、イギリスでの初版のみで、これからアメリカやカナダ、オーストラリアなどで売る場合はまた金がもらえるのだ。
なぜ、同じミャンマーの旅行記で、私と彼らはかくもちがうのか?
最近までそれを日本の閉鎖社会のせいにしていたが、よくよく考えるとどうもそれだけではないらしい。
というのは、アンドリューもサラもただミャンマーのことを書いてるわけじゃないからだ。
アンドリューの本は、ヴィクトリア朝の探検家ジョージ・スコットの足跡を追うというがテーマになっている。
サラの本は、若い頃ビルマに住みその経験から「ビルマの日々」を書いた作家ジョージ・オーウェルの足跡を追っている。
二人ともちゃんと「イギリス(もしくは英語圏)と関係のある本」を書いてるのだ。
実際、「英米と何も関係ないミャンマーの本なんて、どこでも売れないよ」と、村上春樹の翻訳者として知られるアルフレッド・バーンバウム氏は私に言っていた。
(この人もおもしろいが、さらに話が脱線するので、詳しくはまた今度)
やっぱり、売れるためには「本国との関係」を抑える必要があるらしい。
ということで、私も「誰か有名な日本人の足跡を追う」という企画を戦略的に考えた。誰でもいい。私が行きたいようなところに行ってる人間なら、ほんと誰でもいい。
そこで浮上したのが野口英世だった。
「たしか、黄熱病の研究でガーナで死んだんだっけ」と思い出したのだ。
よし、これでガーナへ行ける!
そう思って、野口英世の本を探した。ネット検索した限りでは、野口英世のマトモな評伝や人物研究書は一つしか見つからなかった。他はみんな「偉い人の伝記」ばっかりだ。
もちろん、論文や自費出版の本、絶版になった本などを細かくあたれば、もっといろいろあるのだろうが、現在ふつうに入手できるのは、「正伝 野口英世」(北篤著、毎日新聞社)だけである。
これを読んで、私は感動しましたね。
だって、野口英世ってすごくおもしろい人なんだもの。
貧しい家の出身者ならではの名声欲、たかり癖、すさまじい放蕩癖…。
特にすごいのは渡米するくだり。「何がなんでもアメリカに渡って成功したい!」と訴えて、周囲から金をかき集め、いよいよ悲願のアメリカ行きを目前にした野口は昔からの仲間を数十人集め、遊郭で渡航費用をパーッと使ってしまう。
明治33年当時の金で700円近く。今なら1000万円を超えるだろう。
どうかしてるとしか思えない。石川啄木も真っ青だ。
でも、啄木に金田一京助がいたように、野口にもちゃんと尽くしてくれる人がいて、その人物(恩師なのだが)が高利貸しから大金を借りて野口に渡すのである。
このほかにも野口の奇人ぶりはいろいろ出てくるが、それより野口の業績である。
それはまさに探検家だ。
明治にブラックアフリカの国へ行った人間(それも船でちょっと立ち寄ったとかではない)は野口が日本人で初めてかもしれない。
それだけではない。野口はアフリカの前に南米のエクアドル、ペルー、ブラジルにも病原菌の調査で出かけている。
たぶん、アフリカと南米の両方を本格的に旅した最初の日本人であろう。
医学研究者としても、野口は一般に思われている人間とはちがう。
いろいろな分野に手を出してるが、結局のところ、野口は「病原体の発見」しか興味がないのだ。
どうしてかというと、それがいちばん手っ取り早くてわかりやすい成功の手段だからだ。 野口はまず毒ヘビの血清作りからはじめる。自分で研究室に毒ヘビは十数種類も飼い、ときには自分で毒を搾り取る。そういう体当たり的な手法も探検・冒険的である。
野口がその名を一躍世界に知らしめたのは、当時「亡国病」とまで言われた梅毒の病原体スピロヘータの純粋培養に成功したことである。
その後も、麻痺狂(今はちがう名称の病気だと思うが)のスピロヘータも発見し、私にはよくわからないが、当時ではこれだけでもノーベル賞級の発見だったらしい。
そして、最後はご存知のとおり、黄熱病の研究に取り組む。帝国主義が世界を覆う過程でこの熱帯病が欧米でも流行するようになる。
この病原体を突き止めたらスゴイぞ!という意気込みで取り組んだ。
なんだか、最初コンゴの怪獣ムベンベを発見、次には中国で野人を発見、そして最後はネス湖のネッシーへ挑むという雰囲気だ。
野口には「体系的な学問研究がない」という批判が専門家からあるそうだが、本人はそんなことはかまっちゃいなかったろう。
病原体を発見したら、それでいいのだ。
「見つけちゃったもん勝ち」で、まさに探検家の精神である。
野口が黄熱病に敗退したことはよく知られている。
彼は黄熱病の病原体がこれまたスピロヘータだと信じていた。というか、野口としてはそれで行くしかなかったのだ。
当時は電子顕微鏡がまだ開発されておらず、通常の顕微鏡ではウィルスが見えなかった。実は、黄熱病の病原体はウィルスだったのだが。
免疫学や細菌学をじっくりやっていれば、その辺も見極められたかもしれないが、「病原体ハンター」の野口はそんなまどろっこしいことはできない。
野口はエクアドルで「黄熱病のスピロヘータ」を発見した。エクアドル到着後なんと九日後というから、異様な速さだ。
野口はその後その病原体の純粋培養に成功し、ワクチンも発明、一躍エクアドルの英雄になる。
結局、野口が発見したのは黄熱病の病原体ではなかったから、後に批判を浴び、それが彼をアフリカへ行かせ、その地で客死させる結果となる。
だが、「野口ワクチン」は少なくともエクアドルの「黄熱病」の死亡者を16%に減らしたというから、ちゃんと効果はあったのだ。私も何度か経験したが、医学が発達していない場所では、病気の特定がひじょうに難しい。
ミャンマーのワ州では熱が出る病気を全部「熱病」と呼んでいた。ちょっとしたカゼでも重い病気でも「熱病」。おかげで、私はマラリヤでたいへんな目にあったのだが、それはともかく、当時のエクアドルもおそらくは高熱が出る致死率の高い複数の病気を「黄熱病」にカテゴライズしていたと思われる。そして、野口は黄熱病ではない風土病の病原体を特定し、ワクチンを作ったのではないか。
これはこの本にも書いておらず私の推測だが、死亡者を劇的に減らしたのだから間違ってはいないだろう。
黄熱病研究もただ敗北を喫したわけじゃないのだ。
で、最後に、アフリカのラゴス(現ナイジェリア)とアクラ(現ガーナ)を行き来して研究に励んだが、アクラで黄熱病にかかって死んでしまうのは周知のとおり。
でも、この本はスゴイ。最終章で「野口暗殺説」を披露しているのだ。
なんでも、ライバルの学者と製薬会社が共謀して、目障りな野口に黄熱病を移させたという…。もちろん、真相などわかりっこないが、すごく興味をそそる。
生き様ばかりか、死に様まで探検家だ。
というわけで、長くなってしまったが、私は「史上最強の日本人探検家・野口英世」の足跡を追うという企画を考えていたのだ。これなら世界中の辺境を旅でき、本も売れる!
しかし、いまや野口は「時の人」になってしまった。もう私の出る幕もなく、タレントや有名人がテレビ・クルーと一緒に彼の足跡を追って、「再評価」するにちがいない。
勘弁してくれよ、財務省!
あー、またちがう人を探さなきゃあ…と、私は野口英世なみにエゴむき出しで考えているところであるが、それが探検を志す者の業というもので、野口先生もきっと草葉の陰で見守ってくれていることとしたい。
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高野さん、ブログ開設おめでとうございます。これから毎日見に来ます。野口英世が史上最強の探検家だっとは、高野さんらしい解釈。おもしろいです。それにしても、ブログにしてはリキが入ったえらい長文。力尽きて客死とならぬよう、末永い健筆を願ってます。いや、末永くじゃなく、高野さんには一気にいってもらったほうが面白そうです。
高野秀行氏のブログ
ミャンマー関係の著作もある冒険作家、高野さんのブログがついに始まりました。野口英世を題材に、第一回目から飛ばしてます。高野さんの本に今まで縁のなかった人も、ぜひ見てください。病み付きになること請け合いです。
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拝啓
記事を読ませて頂きました。自分は一介のサラリーマンでしたが、今までの
野口博士の文献、伝記本を見てこれでは本当の博士の活動、苦労、足跡の
実態が日本人にはわからないままになってしまうと思い、自分の体験を基に
昨年”野口英世最後のたたかい”という本を出版した者です。
詳細は、どのネットでもいいので私の氏名または本の題名で検索すると、"special"という項目が出ますのでそこをクリップしてください。またアマゾン〜本〜野口英世と検索するすると著書が出ます、レビューをクリップするとプロフィール、本の概要が分かります。(アマゾンの機械システムの関係で、上位が急に55位に落ちてます)
博士の西アフリカでの様子が初めてわかったという手紙が数多く
来ています。先日の小泉首相のガーナ訪問に際しても首相官邸から購入して首相に見せるとの連絡があった程でかなり認められており、ガーナの
日本人会でも話題になってる程広がりを見せています。
自分は1970年から西アフリカに延べ7年滞在、博士も来たナイジェリア・ラゴスの黄熱病研究本部だった所のすぐ近くに住み、3度マラリア,デング熱で」死に目に会い博士に一番信頼されたナイジェリア人助手チャンバン氏及びガーナ人検査助手ウイリアムス氏氏息フランク氏と会って博士の最後の様子を聞き、自分の体験も踏まえ今度の本をまとめあげました。
一度読まれたら分かります。アマゾンでは注文後2〜3日で入ります。どこの書店でも注文できます。または御近くの図書館に言えば取ってくれますので
是非ご購読をお勧め致します。
敬具
野口英世研究家
中山達郎
助手