祝開幕!

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 いよいよ始まりましたー!!!
 先ほどオープニングセレモニーがありました。歴代王者達の勢揃いは興味津々でしたが、セレモニー全体としてはなんとなくジミでしたねぇ。まぁ、サッカーや開催国の文化に関係ないお祭り騒ぎをするよりは、すっきりしてて良かったかもですが。
 今回もさまざまなファンタスティック・プレーが生み出されることでしょう。街には、寝不足のお父さん達が増えて、飲み屋さんも売り上げが下がっちゃう、かな?
 一次予選を一回りしてみないとなんとも言えませんが、今の時点で優勝争いを少しだけ考えてみました。
 まずブラジルっていうのは、誰が見ても揺るぎないところでしょう。でも、それじゃディープインパクトの単勝1.1倍みたいで面白くないので、以下のチームに着目したいと思います。
・イングランド
・ポルトガル
・オランダ
 ブラジル以外ではイングランドが最右翼でしょう。ポルトガル・オランダは伏兵っぽいけど、いずれも超攻撃的なチーム。充分に優勝は狙えます。それぞれにスターもいるしね。特にポルトガルのフィーゴには、前回無念の涙を飲んだだけに要注目です。ブラジルは、なんとなくですが、今回優勝は逃すような気がしてます。
 あとは、着目というか応援してるのは以下。
・スウェーデン
・ポーランド
・ドイツ
 初出場組では、ウクライナかな。ドイツは開催国だし、カーンがサブキーパーになったとは言え、その大いなる粘り強さで、なんとか上位進出を果たしてもらいたいと思ってます。
 
 昼夜逆転生活が、まもなく始まろうとしてます。燃えますぜ!

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漫画水滸伝1

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 日本人にとって、漫画は大きな財産である。これは水滸伝という中国文学の訳本においても同様で、幾種類かの優れたテキストが刊行されている。
 前回は、小説によるお気に入りテキストを紹介したが、今回から数回にわたって、漫画で知ることができる水滸伝を紹介しよう。
横山光輝 水滸伝(潮出版社:本編1〜7巻+外伝)

 言わずとしれた横山光輝氏の水滸伝である。横山氏の中国関係の作品としては「三国志」「項羽と劉邦」「史記」等が有名だが、水滸伝もそれらに並ぶ。日本において水滸伝に触れる直接的なきっかけは、吉川水滸伝によるという人が最も多いと言われるが、おそらくこの横山水滸伝も5指に入るだろう。かくいう私も、実はこの横山水滸伝がきっかけでこの作品にのめりこんでいった。21歳の時だ。以後、ヒマがあると何回も読み返した。全8巻とは言っても、横山作品だけにセリフも多くなく、一日もあれば余裕で読み切ってしまう。
 別項で触れるが、水滸伝の原作には70回本・100回本・120回本の3種類が存在する。これらは、完結に至るまでの推移をどこまで描くかによって分類される。
 横山水滸伝は、7巻というごく短いストーリーの中で、最も長い120回本を手本として描いており、しかも入門書としては最もわかりやすいストーリーになっている。ただし、削除・簡略化の部分が相当数ある。初版が昭和44年で、漫画は子供達が中心に読む時代だったことも考慮されたのか、日本人の道徳観になじめなかったり、子供達にとって好ましくないと思われる残酷・官能なくだりは、バッサリ切り落とされている。いたしかたのないことだろう。
 絵のタッチも横山節そのものであるが、三国志や徳川家康等の他作品と比べても、よりいっそう子供向けな感じもする。
 水滸伝中最もおもしろいとされるくだりは、「武十回」といって行者:武松を描いたくだりである。ここは、お色気あり、大立ち回りあり、知的推理ありと、非常に生き生きとした10回分の説話だ。また、当時の中国社会を考察するに重要な価値がある描写にもなっている。しかし、横山水滸伝の本編には、この「武十回」はおろか、武松さえも登場しない。それを、外伝の方で独立してストーリー化しているのがなんとも心憎い。
 さらに、水滸伝の中でもわりと地味な存在である混世魔王:樊瑞・八臂那タ:項充・飛天大聖:李袞の三傑に的を絞って、横山氏ならではのフィクションを展開しているのも興味深い。この三人は、120回本の後半で歩兵の特殊部隊として活躍の場が多いが、108人が集結するまでの70回本ではほとんど出番がないだけに、なかなか見応えがある。
 現在では文庫化もされているので、「細かい部分はいらないけど、大まかな流れを知りたい」という向きにはおあつらえ向きではないだろうか。
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・行者:武松<ぎょうじゃ:ぶしょう>
 天傷星/第14位 歩兵軍頭領
・混世魔王:樊瑞<こんせいまおう:はんずい>
 地然星/第61位 歩兵軍将校
・八臂那タ:項充<はっぴなた;こうじゅう>
 地飛星/第64位 歩兵軍将校
・飛天大聖:李袞<ひてんたいせい:りこん>
 地走星/第65位 歩兵軍将校
※文中に出てくる108人の好漢は、注釈で簡潔な説明を加えます。
 以下凡例。
・あだ名:名前<あだ名のよみ;名前のよみ>
 宿星名/108人中での席次 主な役職
※八臂那タの「タ」=「くちへん」+「託」のつくり
(以降、このカテにおいてネット上で表記できない漢字は、文中ではカタカナ表記し、注釈で部首に分けて説明します。)

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モトノリアン・ブルー?!

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 天気がいいと、ちょいとお散歩に出たくなりますねぇ。
 家の近所に小高い丘があるんですが、そこに登ると風も光も心地いいので、気分転換にちょくちょく行きます。地平線の見える丘、ってなわけではないですが、四方空が見渡せて、少しだけ「地球は丸いなぁ」と感じたりします。

 雲一つない青空のときは、さらに気持ちいいですね。夜には満点の星が、元旦には初日の出が拝めます。
 別の方向へ歩いていくと、貯水池にかかる橋がメガネ橋になっています。故郷の鹿児島にも、似たような橋がいっぱいありました。

 四季の移り変わりって、思った以上に素直なんですね。今の季節、夜になるとカエルの鳴き声がそこらじゅうに響きわってます。田んぼからは多少距離があるはずなんですが、けっこう届くもんなんですねぇ。もう少しすると、虫たちの大合唱の中で心地いい眠りにつけることでしょう。
 こんな自然の中、「ロバのパン」ならぬ「走る給食当番」で揚げパンを買い、新曲のモチーフを書き連ね、好きな本にどっぷりつかる今日一日でした。

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土方隆行<ひじかた たかゆき>

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 僕はギタリストであるにもかかわらず、自分の中で、いわゆるギタリストのヒーローが存在しない。もちろん、好きなギタリストは一杯いるのだが、若い頃に多くの人が思う「こんなギタリストみたいに弾きたい」とか「このギタリストの生き方に感銘した」とかいう思いがなかった。どちらかと言うと、楽曲に共感したり、アンサンブルのすごさ・グルーブのカッコ良さにハマったりすることが多く、アイドルはバンドばかりだった。若い頃は、なにかとギターのフレーズをコピーすることも多いものだが、むしろリズムセクションがどうなってるかをひもとくことが多かったように思う。
 ある種特異な僕のギタリスト観だが、このギタリストだけは、素直に「すごい!」と思う。それが土方隆行だ。

MARGINAL LOVE

 僕が土方氏の存在を知ったのは「マライア」というバンドだ。日本のプログレッシブロックの草分け的バンドで、20歳前後の頃わけのわからないままにハマっていき、「MARGINAL LOVE」や「RED PARTY」を繰り返し聞いていた。その「MARGINAL LOVE」のどアタマに流れる、奇っ怪なギターリフのインパクトたるや! 今でも自分で曲を書くときに、そのフレーズが出てきてはアタマにこびりついて離れない。困ったもんだ…。それが土方氏との出会いだった。
 さてその土方氏だが、ソロアルバムとしては「Smash The Grass」「Atomic Rooster」「Full Moon」の3枚をリリース。さらに’83年には、プロジェクトとして「NAZCA」を結成。こちらも3枚のアルバムをリリースしている。
 また、スピッツ・河村隆一・ゴスペラーズ・エレカシ・TOKIO等を始め、数え切れないほどのバンドやソロアーティストをプロデュースしていることでも知られる。
 土方氏のギターは、よく「超絶技巧」と言われるが、僕はそうは思わない。たしかに、長年にわたるスタジオワークの経験を積んでいるのでテクニックはずば抜けているが、むしろファンキーで爆発的な肉体派の部分と、メロディアスで日本人的な繊細さを同居させていて、それを同時に表現できる希有なギタリストだと思っている。影響を受けたギタリストの一人がジェフベックとのことだが、僕はその通りだと思う。それに、楽曲とそのアレンジのセンスがすばらしい。
Smash The Grass
 この「Smash The Grass(グラスを砕け)」は、僕の中でもトップクラスに位置するFavorite Albumだが、そんな土方氏の魅力があますところなく散りばめられている。フェイドインで始まるファンキーなカッティング、それが最高潮に達したときのブレイクに響く「グワシャッ」と砕けるグラス音。直後の強烈なブラスセクションとリズム隊に身体が揺れている頃には、すでにこのアルバムの虜になっている。2曲目の間奏では、8本のギターだけによるバロック調の重厚なアンサンブル。当時はMIDIさえも世の中に出ていないアナログ全盛期なので、「レコーディング方法自体が不明だ」とアドリブ誌上に書かれていたことを思い出す。
 いたいけで純粋な少女がダイナマイトを抱え、そこに差し込む一条の光、というジャケットも意味深だ。
 全8曲と、現在にしては非常に少ない曲数だが、腹一杯になることもなく、空腹感もない。聴き終わった頃には、妙にホッとした気持ちになる。これは僕だけかもしれないが、このアルバム、もちろんファンキーだしプログレッシブだしサイケデリックなのだが、全体的に中世的な雰囲気が漂っていると思う。モノクロームの古いヨーロッパ映画を見ているような感覚にさえ陥る。

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しあわせな時間

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 昨日、20年来のFavoriteバンド「AB’Sのライブを見に行った。
 
 仕事がら、おつきあいや打ち合わせ・取材等でいろんなアーティストのライブを見に行く機会が多いが、ちゃんと自分でチケットを予約し、開場時間に入って、自分の本当に好きなライブを見に行くのって、何年ぶりだろう。ちょっとだけドキドキしながら、若い頃のワクワク感を隠しきれない気分で、渋谷のライブスポット「KABUTO」に入った。
 開場時間をほんの少し過ぎただけなのに、観客はかなりいる。ぐるりと見渡しても、自分と同世代の人たちがほとんどだ。間違っても中高生はいない。
 大好きなドナルドフェイゲンのBGMが流れる中、メンバーが無造作にステージに入ってきた。
 自分のアイドルがすぐそこにいる。25年ほど前、スペクトラムのファイナルで武道館に行き、だだっ広いステージで光を放っていたあの人たちが、手を伸ばせば届きそうなところにいる。そんなミーハー的な気分も交えつつ、曲はスタートした。
 メンバー5人とも、すでにいい年だ。そりゃそうだ、自分も45歳になろうとしてるんだから。そのいい年こいたおっちゃんたちが、実に楽しげに嬉しそうに演奏している。超一流の演奏がそこにあるが、そんなことより、曲に、雰囲気に、どんどん引き込まれていく。幸せな気持ちになっていく。
 曲間のMCも非常に楽しく、80人ほどのギャラリーと、日本を代表する名うてのミュージシャンが、実に屈託のない、和やかな空気に包まれた。腹の底から笑い、身体全体で興奮した。

会場で購入した「Single」

 昨年リリースしたアルバム「NEW」全曲を、その順番通りに演奏。曲数はわずか10曲。MCで、曲紹介やこれまでの生い立ち(?)・業界裏話等を交え、世代的にはそんなにかわらないんだなぁということを再認識した。あっという間に時が流れた。
 アンコールでは、「今日が誕生日の人のために」と、オリジナルアレンジの「Moon River」を、なんとアカペラで歌い上げた。メンバー全員がボーカルもやり、曲の至る所でコーラスを盛り込んでいるAB’S。絶妙のコーラスワークだった。最近ぽっと出のアカペラユニットなんかより数百倍も心にしみた。
 2回目のアンコールでは、曲目を用意してないということで、1曲目を再演。さらに盛り上がり、しわせな時間は通り過ぎた。
 言葉にするのももどかしいくらい、ほんとに最高だった。心を解放して音楽に接するって、何年ぶりだろう。じんわりとしたここちいい余韻が、終電の中まで残った。

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PINK<ピンク>

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 PINKの名前は知らなくても、福岡ユタカ・ホッピー神山・岡野ハジメと言ったらご存じの方も多いのではないだろうか。今では作曲・プロデューサーとして第一線での活躍をしている人々だが、彼らが在籍した伝説のバンド、それが「PINK」だ。
 各人はビブラストーン・ショコラータ・爆風銃等で活動していたが、’84年に「PINK」としてメジャーデビュー以来、’89年の解散までに5枚のアルバムをリリース。圧倒的なパワーと存在感で、同世代の他バンドから群を抜いていた。
1st:PINK
 メンバー構成は以下。
・福岡ユタカ(Vo)
・ホッピー神山(Key)
・岡野ハジメ(Bs)
・矢壁アツノブ(Ds)
・スティーブ衛藤(Per)
・渋谷ヒデヒロ・逆井オサム(Gt)

2nd:HIKARI-NO-KO

 僕はこのバンドのことを何も知らずに、当時のレンタルレコード屋で2枚目の「光の子」を何気なく手にし、針を落とした。腰を抜かした。ブッ飛んだ。最近で言うところの「ヤバい」か? いや、そんな悠長な状態ではなかった。とにかくタマゲタ!「こんなバンドがあったとは。もっと早くに知ってなくちゃいかん!」と、1枚目も手に入れるべく速攻でレコード店に走った。
3rd:PSYCKO DELICIOUS
 基本はロックなのだが、ポップ・ファンク・ニューウエーブ・テクノ、そしてエスノと、ノンジャンルかつ無国籍っぽいサウンドが大きな特徴だ。実際、メロディーラインは非常にポップで親しみやすく、一歩間違えると安物の歌謡曲になりうるが、大胆で計算されたアレンジ・卓越したテクニック・想像をはるかに超えたパワーで、超個性的なPINKサウンドに仕立てている。いずれも一騎当千の強者揃い、とにかく一度聴いたら病み付きになる。

5th:RED & BLUE

(4th:CYBERは欠落、現在手配中)

 福岡ユタカの抜けるようなボーカル…と言うよりボイスと言った方がいいんだろうか。当時流行り始めた、日本語を英語のように発音する和製英語のようなんじゃなく、根元的なところから発せられる「声」…もっと言ってしまえば、雄叫びのような「声」、にシビれた。
 岡野と矢壁がたたき出すビートは、強烈・圧巻に尽きるし、スティーブのパーカッション群がパワーに風景を付ける。
 ホッピーのキーボードは、音色・プレイともに、あくまでもサイケだ。
 ギターは、1〜3枚目が渋谷ヒデヒロ、4枚目で逆井オサムにチェンジした。ロックバンドだというのに(?)ギターソロは皆無に近いが、ツボを抑えたバッキング・心地いいカッティングがシブい(この二人のギタリストは’00年に相次いで他界したとのこと)。
 音楽的には、メロディーがしっかりしていればアレンジや雰囲気でいかようにも料理できること、エスニックなエッセンスはどうやれば具体化できるのか、音楽のパワーとは何か、を教えてくれたバンドだ。
 自分の精神状態に関わらず、思わずCDを引っ張り出して聞きたくなる麻薬的なバンド、それがPINKだ。

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天空の草原のナンサ

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 先週、久々に映画館へ足を運んだ。高田馬場の早稲田松竹で上映される「天空の草原のナンサ」を見るためだ。この映画館は、20日から今月一杯は館内改装で休館になるため、ギリギリのタイミングだった。
 モンゴルの写真を紹介してくださった岡本さんの勧めだったのだが、恥ずかしながら僕はこの作品を知らなかった。
 この映画は、映画と言うより、日常をそのまま綴ったドキュメンタリーといった色合いが強い。何か大事件が起こるでもなく、わくわくするような冒険が待っているわけでもない。実に淡々とストーリーは流れる。
 しかしながら、この日常こそに大きな意味がある。
 自然とは、家族とは、生きるとは、愛とは、優しさとは…を淡々と、実に平凡に描く。「見失った何かをきっと見つけられるでしょう」などといった陳腐なコピーフレーズでは表現しきれない「なにか」がそこにはあった。どこまでも続く大草原の中で暮らす一家の、なんとつましいこと、そして、なんて暖かいこと。自分よりも弱いものを守ろうとする、でも自分もまだ幼い少女の、なんとたくましいこと。
 遊牧民の移動式住居「ゲル」を中心に、なんのてらいもなく、ごく自然にカメラが追う。
 しかしながら、上映終了後、涙があふれる。なぜだかわからない。
 なぜだかわからないから、日常なのだろうか。

<photo by Yoshio Ogura>
 ストーリー等については詳しく触れない。モンゴル遊牧民として生まれた6歳の少女ナンサを中心とする一家のたあいもない日常が、一匹の子犬ツォーホルとの出会いから微妙に変化していく、といったところだろうか。僕の世代では、アメリカ大西部を舞台にした長編ドラマ「大草原の小さな家」をなんとなく思い起こさせるが、モンゴロイドの血のせいか、より身近に感じられた。
 馬頭琴や中国箏を織り交ぜたBGMも、風景にうまく溶け込んで心地よい。
 6月中旬まで東京飯田橋のギンレイホールでも上映されるので、時間が許す限りもう一回見に行こうと思う。また違った感情が呼び起こされるかもしれない。
天空の草原のナンサ(原題:The Cave of the Yellow Dog)
・監督脚本:ビャンバスレン・ダヴァー(2005年 ドイツ 93分)
・出演:ナンサル・バットチュルーン一家
・オフィシャルサイト:http://www.tenku-nansaa.com/

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モンゴルの写真

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かなか見つけられなかったモンゴルの写真ですが、知人の紹介で提供していただくことができました。この方々はシーカヤック仲間で、日本各地は元より、世界のあちこちでもシーカヤックを楽しまれているとのことです。タイトルバックの写真も、実際にモンゴルに行かれたときにご自身で撮影されたとのこと。やっぱり、本物のモンゴルは奥深いですね。

 紹介してくださった岡本様、実に気持ちよく写真をご提供くださった小倉様、本当にありがとうございます。
かにもすばらしい写真をたくさんお預かりしていますので、数回にわたってご紹介していきたいと思います。お楽しみに!

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お勧めテキスト

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 20数年の歳月の中で、私の心を捉えて放さない文学作品、それが「水滸伝」だ。
 中国四大奇書とされる「三国志」「西遊記」「金瓶梅」、そして「水滸伝」。これらは日本人にとってもなじみ深く、昔からさかんに読まれてきた。
 現代の日本では、水滸伝よりも三国志の方が圧倒的な支持を得ているが、江戸時代はむしろ水滸伝の方が爆発的なブームを生んでいた。もちろん、私も三国志は大好きで、あらゆる書籍を読みまくった。しかし、企業経営や自己啓発のノウハウ本に利用されるようになった頃から、その熱は冷めてきた。なんとなくイヤミな感じがしてきたからだ。むろん元々の三国志は、大切な友として本棚に鎮座しているのは言うまでもない。
 水滸伝は、ものすごく簡潔に言ってしまうと、「108人の英雄豪傑が一堂に会し、貪官汚吏を倒して救国を目指す冒険活劇」だ。
 しかしながら、日本のような勧善懲悪の道徳世界とはまた違う。なにしろ、108人は決してかっこいい正義の味方ではない。むしろ、世間のつまはじき者やならず者がほとんどを占める。それでも心を捉えてやまないのは、物語のおもしろさ・個性の豊かさ・荒唐無稽なストーリーなど、爽快感に満ちあふれているからだ
 このカテでは、私が感じる水滸伝をいろんな視点から思う存分紹介していこうと思う。そして、私自身もこのカテを書くことによって、すでに人生の半分を共に過ごしてきた水滸伝を、自分なりの水滸伝として一からまとめていこうと思う。
 まず、今現在入手できる水滸伝のテキストで、私のおすすめの3作品を紹介しよう。
1.駒田信二 水滸伝(全8巻/講談社文庫)

 最も原典に近い、と言うか、原典の忠実な翻訳本。水滸伝に限らず、外国の名作には必ず翻訳本が存在するが、訳者によってそのニュアンスが異なるのは当然のことだ。日本の古典でさえ、テキストによって解釈が微妙に異なるのと同様である。水滸伝にも優れた翻訳本は多数存在するが、駒田氏の訳がもっとも原典に近いとされる。岩波文庫の完訳水滸伝(全10巻)も原典に忠実だと言われるが、表現の仕方が少々古くさい。
 本書は、原典のあちこちに盛り込まれた「詩」も、余すとこなく網羅している。それに、中国と日本という異なった文化の中でも、手に取るように想像をかき立てる表現力がすばらしい。また、色彩感も豊かだ。
 全くの初心者の入門書として読むには少し忍耐が必要だが、いずれ紹介する簡訳本を読んだ後、もっと深く味わいたいと思ったら一押しの作品だ。
<http://shop.kodansha.jp/bc/bunko/>
2.北方謙三 水滸伝(全19巻+読本/集英社)

 水滸伝フリークの中では、賛否がはっきり分かれる作品だ。断っておくが、これは古典としての水滸伝ではない。北方氏が幼い頃から親しみ影響を受けてきた水滸伝を、彼の中で昇華し、いったん完全に解体したところから新たに構築していった、完全にオリジナルの水滸伝だ。主人公たる108人の豪傑や主な登場人物こそ原典を引用しているが、それぞれのキャラは北方氏が設定したものとして描かれているし、ストーリー・時間軸・舞台設定もオリジナルだ。研究者やマニアの間でこの作品を「否」とする理由はここにある。
 しかし、私はこの作品が大好きだ。ここには、男の死に様が描かれている。と同時に、男の生き様が実にリアルに描かれている。読みながら涙し、怒り、微笑み、あらゆる感情が呼び出される。完結した時点で最初から読み直したのでまだ読破していないが、それこそ寝る間も惜しんで読んでしまいたい衝動に駆られる作品だ。
 ちなみに、全巻刊行のおりに北方氏のサイン会があったのだが、私もミーハー心を隠しつつ2時間ほど並んでサインをして頂いた。「僕も渾身の力でモノを書きます、Yoshiさんも渾身の力を込めて音楽を作ってください!」という力強いことばと共に、固い握手を交わしながら。
<http://www.shueisha.co.jp/suikoden/index2.html>

3.正子公也氏・森下 翠 絵巻水滸伝(全10巻・未完/魁星出版・學燈社)

 イラストレーターの正子公也氏と作家の森下翠氏がネット上で連載していた「絵巻水滸伝」を、読者からの熱烈なリクエストにより書籍化した作品。この4月に第1巻が刊行されたばかりなので、完結にはまだまだ時を要する。書籍化にあたっては加筆修正したということだが、基本部分はネット上でも読める。この作品のすごいところは、なんと言っても正子氏のCGによる華麗なビジュアルだ。108人のキャラがこの上なくタッており、すさまじい迫力で圧倒される。初めてこのサイトを覗いたときは、そのインパクトに声も出なかった。
 文章の方は、基本的に原典を踏襲してはいるが、森下氏のオリジナルと言っていいだろう。腰を据えて読むのはこれからだが、本を読むと言うよりは、映画を見るような感覚で読み進められると思う。
 なお、全10巻の書籍化に先だって、108人のキャラを描いたビジュアル本「絵巻水滸伝 梁山豪傑壱百零八」が複刻版として刊行された。以前、光栄から刊行されていたが第1刷で絶版になっていたものだ。首を長くして待っていた再発だけに、入手できたときの喜びはひとしお。高価な美術書のようなこの本は、私の本棚を彩る宝物になっている。
<http://www.suikoden.com/>

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SAMURAI 7

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 最近ハマっているテレビアニメがある。幼い頃がアニメの宝庫で、放映されるあらゆるアニメを楽しみにしていた世代だが、さすがにこの年になると、と言うか、いい作品に巡り会えずと言うか、なかなか縁遠くなっていた。
 それは、金曜日の深夜0:30からNHKで放映中のSAMURAI 7だ。新聞を見ていて偶然見つけたんだが、「また〜、どーせ七人の侍のパクリだろう?!」くらいで、かなりいい加減な気持ちで見てみた。案の定七人の侍のアニメ版だった…。
 絵的には当然今っぽいし、全体にゲーム感覚のタッチが流れているので、「七人の侍フリークとしては許せん!」という気持ちだったんだが、見ているうちにどんどん引き込まれて、気がついたら虜になっていた。
 なにがおもしろいって、時代背景・キャラクター設定・戦闘シーン等はむちゃくちゃSF冒険活劇なのだが、実に細かい部分まで七人の侍を研究しつくしていること。七人の名前はもとより、あちこちに散りばめられた名セリフもそのまま採用してる。
 僕の中で一番印象的なセリフは、村が野党に襲われ、水車小屋に村人が集まって善後策を話し合っているさなかの長老の一言「やるべし!」だ。このセリフをそのまま、しかも光のアングルとか、コマ送りとかも全く同じような設定の中で、妖しげな長老が口にした。
「…やるべし!」
 この場面を見た時は、腰を抜かすほどにブッとんだ。が、それから、よ〜く気をつけて見ていくと、百姓が宿泊していた馬小屋や、そこをねぐらにしていた博徒とのやりとり、町を行き交う浪人の面体・持っている武器など、非常に細かい部分まで七人の侍そのままに活写しているのがわかってきた。
 もちろん、キャラ設定も踏襲している。
 リーダーの勘兵衛は沈着冷静。しかも剣さばきは抜群だ。人質に捕られた幼子を救うシーンも、もちろんあった。
 「薪割り流を少々…」と登場するムードメーカー平八は、ちゃんと茶屋の裏で薪割りをして登場するし、若武者=勝四郎はクソマジメで若い女性と恋に陥るキャラとしてそのまま描かれる。
 笑うのは、三船敏郎扮する菊千代だ。キャラ的にはそのまま豪放磊落だが、なんとロボットの侍だということ。どこからか盗んできた家系図をこれ見よがしに披露するシーンも、もちろんある。
 剣豪=久蔵は非常にかっこいい描かれ方をしており僕も大好きなのだが、SAMURAI 7では一風変わった登場をするようだ(たぶん次回くらいじゃなかろうか)。
 補佐役の五郎兵衛だけは、七人の侍というよりは、その西部劇版=荒野の七人のヴィン役=スティーブ・マックイーンのキャラとダブる。と言うか、マックイーンそのものだ。
 たしかに描写的に完全に今風なのだが、根底に流れている「七人の侍」魂は生かされている。まだまだ始まったばかりだが、最終的にどこにテーマをもっていくのかで、このSAMURAI 7の評価が分かれることになろう。
 僕は、世界的な名作である七人の侍は、そもそも水滸伝がモチーフになっているのではと思えて仕方がない。一人ないし複数のスーパーヒーローの活躍を描くのではなく、個性の違うキャラが集まり、権力や暴力・不条理に立ち向かっていくという思想・概念は、水滸伝そのものだ。この件についてはまた別カテで詳しく触れるが、それも含めてSAMURAI 7。単純に、見ていておもしろい。七人の侍フリークとしては、かなり楽しめる作品だと思う。

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