念願かなってモガディショ
公開日:
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最終更新日:2012/05/28
高野秀行の【非】日常模様
今から十数年前だから、1990年代半ばか後半くらいだろうか。
ヨーロッパか中東かアフリカか忘れたが、飛行機でたまたま隣に座った人がモガディショに住むソマリ人のビジネスマンだった。
ソマリ人に会ったのもそれがはじめてだったし、モガディショに住んでいるということが
驚きだった。
当時すでに無政府状態というか「リアル北斗の拳」状態で知られていたからだ。
でもその人は「武装の護衛をつければ安全だよ」とこともなげに言った。
「どこが安全なんだよ、どうかしてんじゃないか」と思っていたのだが、今まさにそういう状態で私はモガディショに来てしまった。
別に危険をおかしに来たわけではぜんぜんない。
いくらソマリランドが旧ソマリアと絶縁したといっても、やっぱりモガディショはソマリ諸国最大の都市にちがいなく、内戦も諸国独立もすべてはモガディショに端を発しているのだから、やっぱり一度見てみたい。
ソマリ人の誰もが「昔はアフリカのローマと呼ばれたすばらしい大都会だった」ともいうし。
かくして、念願かなって感無量なわけだが、町は人とモノと動物(牛、ロバ、ヤギ、ラクダ)にあふれ、活気に満ちていて、
外からの悲惨なイメージの落差に驚かされる。
その意味ではアフガニスタンのカブールとそっくりだ。
だが、明らかにカブールより緊張の度合いは断然こちらが上で、町は兵隊だらけだし、泊まっているホテルのすぐそばでもときおり激しい銃声が聞こえる。
でも、誰もそれに気を止める様子もなく、ふつうに暮らしていて、二日たった今でもまだ何がどうなっているのかよくわからない。
念願がかなったのはいいが、セキュリティ対策の費用があまりに莫大で参っている。
なんだか、拉致されたときの身代金を前もって分割で払っているような錯覚すら感じる。
もう所持金がいくらも残っていない。
そういう意味でも取材を済ませてなるべく早く脱出したいところだ。
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Comment
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「リアル北斗の拳」って…もはや地球のハナシと思えない。「金の切れ目が命の切れ目」とかギャグを言える状況ではないようですね><。ご無事を祈っています。
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リアル北斗の拳ってことは高野さんがケンシロウ?ラオウかな?
それとも護衛に守られているからユリヤ?
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今は「リアル北斗の拳」状態ではありません。
普通のソマリ人の住民はごく普通に暮らしています。
戦闘もないし。
ただ、外国人は常に拉致の対象になるので、注意が払われているだけで。
あと、地区によっては、見知らぬ車が入ってくると地元の氏族の民兵がとりあえず銃撃してくるので、うかつに入れないということはあります。
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「とりあえず銃撃」!今までで最もイヤな「とりあえず」だ!地元の人達が普通に暮らしているのは何よりですね。
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最近貴殿の本を5冊ほど拝読。イスラム飲酒紀行も読みました。1984年から1985年にかけてソマリアを3回訪問合計4+ヶ月モガデシュオに滞在しました。まだ政府が存在していた頃です。国営のジュバ・ホテルと云うところに滞在していました。もう存在してないとは思いますが。ホテルの一階にドルショップがあり外貨で酒が買えました。ホテルの部屋の天井の四隅に穴が開いておりネズミに出入りしていたのをよく覚えています。旧イタリア領のせいか食事は美味しかったと記憶してます。浜辺にあったイタリア料理レストランにもよく行きました。1回目の渡航ルートはアブダビからソマリア航空で、ベルべラ?経由で入国。2回目は香港から南ア航空でセイシェルに泊まり、ケニヤ航空でナイロビ経由で入国。3回目はソマリア航空でフランクフルトからローマ経由で入国。大昔の話ですね。モガデシュオは日本でいえば村のような規模の所でした。海岸に屠殺場から血が流れいるので鮫がいるとのことで遊泳は出来なかった記憶しています。長々と私的なことを書き込んでしまいましたがご容赦下さい。無事の帰国を祈ってます。
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えー、内戦前のソマリアにそんなに行かれてるんですか⁉
めちゃめちゃ貴重な体験ですよ!
当時は「アフリカのローマって言われてたんだ」と
年配の人が得意げに言ってます。
私も見てみたかったですね、ほんとに。
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“アフリカのローマ”とは大法螺ですね。去年シシリーに行く途中、初めてローマ市内に1泊しましたが。
イスラム飲酒関連で小生の経験を一つ。1985年2回目のソマリア訪問の帰途、スーダンに立ち寄ることになり、テレックスでスーダン出張中の同僚と連絡を取り合っていたのですが、ある日突然通信不能となり、その後BBCでスーダンでクーデターが起こったことがわかりました。2週間後ナイロビ経由でスーダンに入ったのですが、最初に着陸したのが最近独立した南スーダンのJubaと云う町でした。ここからハルツームまでは乗っていた飛行機が国内便になり、ハルツームの国内便の空港に到着となりました。出迎えの同僚が国際便ロビー待っていたので、出会うまで1時間以上要しました。その後ハルツームから南に200キロほど下ったWad Madaniというところに一週間ほど滞在したのですが、ここでヤシ酒を飲みました(当時スーダンは禁酒国でした。)。少しどろっとしていて、臭味があり、お湯割りで飲んでいました。夜、現地の人がこっそりと売りにくるのですが、あまり安くはなかったと記憶してます。