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本当の日本の辺境紀行

公開日: : 最終更新日:2012/05/28 高野秀行の【非】日常模様

 角田光代『八日目の蝉』(中公文庫)はひじょうに面白い小説だったが、正直言って不倫だとか愛人の子をさらって逃げる心境というのはどうでもよくて、
主人公の逃亡の様子が日本辺境紀行になっているのに興奮した。
立ち退きを拒否して居座っている家、新興宗教のアジト、瀬戸内のラブホなどを転々とする様子は「なるほど」と思わせるリアルな感触があった。
で、今、市橋達也『逮捕されるまで 空白の2年7ヶ月の記録』(幻冬舎)を読んだのだが、全く同じ感想をもった。
しかもこちらはノンフィクションであり、文章力は落ちるが迫力は断然こっちが上だ。
事件そのものについての言及はひじょうに少なく、なぜ殺したのかのかもわからないし、
さらにいえば、この市橋達也という人物が事件前は何をしていたのか、どういう生い立ちだったのかも一切書かれていない。
だから本書は純粋に「どうやら人を殺してしまったらしい男がひたすら日本全国を逃亡して歩いている」という、小説っぽい味わいになっていて、変な話ではあるが、宮田珠己の理想とする旅、すなわち「今ここにいるという不思議な実感」に近づいているともいえる。
宮田珠己といえば、市橋達也も四国遍路を途中まで歩いていた。
全国からいろんなワケありの人間が来て、野宿しても怪しまれないし、
食べ物ももらえたりするのだから、これまた「なるほど」である。
そして、最終的に彼がたどりつくのは、沖縄の離島と大阪の西成。
西成の飯場で稼いでは沖縄の離島で半サバイバル生活をする。
これは「なるほど」というより「やっぱり」である。
沖縄の離島では魚を釣ったり、蟹や蛇を殺して食ったりする。
蛇は「すごくおいしかった」と書かれている。
なぜか途中から猫がついてきて、猫が騒ぐと蛇が来たとわかる。
来ると、急いで捕まえに行ったという。
リアルな緊迫感がある。
日本人でも蛇を食べる話はあるし、服部文祥も『サバイバル登山家』で書いているが、
当たり前だが、やらなくていいことをあえてやっているわけだ。
だが、市橋達也は本気で、生き延びるために蛇を食っている。
それだけでも、他の追随を許さない。
指名手配されて、ひたすら逃げる(自首とか自殺という考えはほとんどなかったようだ)著者から見える日本は、私たちの見る日本とは明らかに別物だ。
とくに犯行直後、記憶も定かでないまま放浪しているときの景色は妙に美しい。
霊的なものを幻視したりもしている。
角田さんの本と合わせてお勧めである。

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Comment

  1. Kojima より:

    AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
    犯罪者の小説を購入するというのに、多少抵抗を感じてしまいました。
    しかし、読んでみようと思います。見沢知廉などは抜群に面白かったことですし…。
    ちなみに、【世にも奇妙なマラソン大会】 買いました。
    綺譚集がすごくよかったです。いつか、綺譚集で一冊できることを期待しています!
    離婚届けのヤリトリのクダリは失礼ながら、爆笑しました。

  2. タツ より:

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    ホラーもいけますね…。「It」を読んだ後におしっこで何度もうしろを振り返ってしまいました。

  3. 台湾マニア より:

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    妙に美しかったですよね。放浪しているシーン。
    幻冬社が直前に流した出版ニュースで自分の顔にハサミを入れたり針を入れたりしている内容が紹介されているのを見て、ああ俺は発売日に買ってしまうんだろうなあと思いました。
    最後の方は噂にのぼっていたらしいのに「仲間」を売らなかった西成のおっちゃんたちはすごい。いや、実は通報していて、気配を察して市橋が逃げたのが真実かも知れないけど。新聞では報道されないけれど数年前にも「暴動」があった西成は、本当に日本の中の異郷です。

  4. ゆき より:

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    市橋達也の本はさらっと立ち読みする予定でしたが、じっくり読んでしまいました。
    ぐいぐい引き込まれてしまいました。
    普段見ない視点で日本各地を旅できたような気分になりました。
    不謹慎かもしれませんが。

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