大正生まれは名字より屋号
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最終更新日:2012/05/25
つれづれ日記
ちょっとした集まりがあって、拝島のそば屋「あずま家」で飲む。
私は重度のそばアレルギーなのだが、何しろ話のテーマがこのそば屋なので、ここに集まらざるを得ない。
集まったメンバーは4人。
常連のKさん(60代)と、はるばる田端から来たHさん(50代)、そして私(30代)3人は同じ伊那北高校卒、もうひとりはKさんの奥様だ。
私とHさんには、高校以外にもう1つ共通点があり、それが今回の宴席のきっかけでもあった。
それは、そば屋の看板ばあさんが、我々2人と同じ、箕輪町木下出身だったのである。
常連のKさんは、この店を訪れるうちに、ばあさんが長野県の箕輪町出身で、しかも自分の母親と小学校の同級生だったことを知る。
縁は異な物、たまたま高校の関東同窓会の役員会でKさんとHさんが話していたところ、Hさんの父親も同小学校卒、それも、ばあさんとKさんの母親と同級生だったというではないか。
Kさんの母親と、Hさんの父親はどちらも「泉(いずみ)」という名前だったため、
「先生が“いずみ”というと、必ず男女2人の声がした」という逸話をどちらも聞かされて育ったという。
さて、私の場合、じいさんは聖職の碑の生き残りなので、明治生まれ。すでに鬼籍に入ったその長女も昭和生まれであり、大正14年生まれのばあさんとは親族に同世代がいない。
しかし、私の本家がキモだった。
私の本家、小林家は、今は旧道となっている国道153号線に面し、車のディーラーを営んでいる。
屋号を信濃屋(しなのや)といい、かなり昔から今の場所に居を構えていた。
父が話す仏壇や位牌の話から計算しても、200年以上はたどれそうである。墓地が、菩提寺である嶺頭院(れいとういん)の本堂の真裏にあることを考えても、お寺の創建初期から関わっていそうな歴史がある。
さて、その信濃屋。
車の販売を手がける前は、オートバイ、その前は、自転車屋として、営業をしていた。
じいさんの残した写真の中に、店の前に最新の自転車を並べ、番頭さんや丁稚奉公の使用人さんたちと並んで写っているものがあり、「写真で見る上伊那の歴史」とかいう本にも載っている。
当時は、正月になると隣町の松島から芸者さんを呼んで、3階の大座敷で出入りの業者さんと盛大な新年会を開いていたそうである。
そんな羽振りのよかった信濃屋時代を、そば屋のばあさんは知っていた。
聞けば、ばあさんの実家は、信濃屋から直線距離で200メートルたらず。
円月洋品店という洋服屋さんをひらいていたそうである。
ただ、戦況が悪化してきた昭和18(1943)年、ばあさん19歳の時、一家で東京へと移住し、以後、長野は同級会や旅行で訪れる彼の地となった。
しかしながら、70年近く前の話だというのに、おばあさんの記憶はまるで昨日のことを話しているかのようだ。
「“信濃屋”の横には、“星一”があって、その横が“かわちや”、そのとなりに“ひしや”っていう駄菓子屋さんがあってね、その横に“きらく亭”っていう飲み屋さんがあったのよ」
次から次へと屋号がぽんぽんぽんぽん飛び出てくる。
正月に帰省した際コピーしてきた住宅地図と、木下の街並みを写した写真をiPadで見せると、ばあさんは次々出てくる写真に、当時の記憶と思い出を交えながら懐かしそうに話してくれた。
「やー、こんなところで信濃屋さんの孫息子に会えるとは!!!わたしゃ、ほんとにびっくりしたよ」
ほんとは出来損ないの孫息子なので、じいさんその他、先祖の皆さんに申し訳なさ100%全開だ。
「信濃屋っていえば、ほんとお大尽でね、でも、自転車は高かった。当時15円もしたんだに」
ばあちゃん、ごめんよ。
先祖も言ってたと思うけど、お礼をいうよ。
自転車買ってくれてありがとう。
しかし、さんざん盛り上がったあと、ばあさんはひと言こういった。。。
「ところで名字はなんていうんだい?」
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