『悪童日記』に学ぶ小説技法
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最終更新日:2013/03/12
高野秀行の【非】日常模様
ただいま3:45AM。
目がかゆくて鼻が詰まって目が醒め、眠れなくなってしまった。
言わずと知れた花粉症だ。
私はこれまで本格的な花粉症を逃れてきた。
実は3年前、一度なりかけたのだが、たまたま症状が出て3,4日でブータンに出かけてしまい、
その季節を乗り越えてしまった。
一昨年も去年も無傷で過ごしてきた。
なのに…
私は日本の春から初夏にかけての季節が大好きだ。
3月中旬くらいからじわじわと寒が緩み、梅に続いて桜が咲き、
やがて葉桜から新緑が文字通り燃え上がるような時期に突入する。
日はどんどん長くなり、身にまとう衣服は軽くなっていく。
こんな明るいグラデーションを感じさせる季節は世界的にも珍しい。
この季節は極力日本にいたいと思っている。
とくに今年は久しぶりに書かねばならない原稿も少なく、
山に登ったり、国内をぶらぶらして最良の季節を満喫したいと思っていたのだ。
なのに、花粉症。
窓を閉め切り、なるべく外に出ないようにするしかない。
そして夜も眠れない。
暗澹たる気持ちになる。
とはいうものの、こんな予想外の展開を心の奥底でかすかに面白がっている自分もいる。
その馬鹿な小人のような自分は海外で苦境に陥っているときにも
あるいは腰痛で苦しんでいるときにも妙に活性化し、おかげで何度も助かってきた。
暗闇の提灯のように、今回もその小人を頼りにこの季節を過ごすしかない。
☆ ☆ ☆
さて、外に出られないので、結局読書ということになる。
この週末はふとしたきっかけでアゴタ・クリストフの『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』(いずれも早川書房、今は文庫で入手できる)の三部作を再読した。
ちょうど私が二十代の前半から半ばにかけて大ヒットした小説で、
私も他の読者と同様に強烈なインパクトを受けた。
舞台は第二次大戦中のハンガリーとおぼしき国のはずれにある「小さな町」。
二人の天才的な双子が戦時中の過酷な状況を記録した「大きな帳面」がそのまま小説となっているという
奇妙な体裁の小説だ。
占領軍の軍隊は簡単に人を殺したり収容所に送り、教会の司祭は乞食の娘にわいせつ行為を働き、
主人公の少年たちはその司祭を脅してカネを得たりする。
そういった非人間的な状況を少年たちは淡々と事実だけ簡潔に記録する。
「美しい」「ひどい」といった修飾語や「愛している」とか「悲しい」といった感情表現は一切排除されている。
そのポキポキした白骨めいた文体がまた異常で、今読み返しても(若干古いと感じられる部分はあるが)、
力強い。
しかし、20年前とちがい、私はすでに本をさんざん書いているから、
その「恐るべき子供たち」の設定や文体に驚くより、
どうしても「書き手」であるアゴタ・クリストフの立場を考えてしまう。
なぜ、彼女はこんなものを書いたのか。
『悪童日記』は彼女の実体験にある程度基づいているらしい。
彼女は1956年、ハンガリー動乱の際、スイスに亡命し、20歳をすぎて新しい言語(フランス語)を習得しなければならなくなった。
もともとは文学少女だっただけに、母語で読み書きができないというのはとてつもない苦しみとコンプレックスだったようだ。
『文盲』という自伝があることからもそれは察することができる。
でも文学少女だから小説を書きたい。でもフランス語では思うように書けない。
あるいは自分の語彙の少なさや言葉遣いの拙さが露見してしまう。
ではどうするか。
そこで出た答えが、主人公をちゃんとした教育を受けていない子供に設定し、
修飾表現を極端に排除した文体だったのではないか。
それなら自分の言語能力をごまかすことができる。
主人公の少年たちが非人間的なほど冷徹で、異常なほど頭がよいのも
それを補うために仕組まれたのだと思う。
なぜなら、ポキポキした文体でふつうの子供っぽい感情や思考を書いていったら
ひじょうに稚拙かつ陳腐なものになってしまうからだ。
もし私がどうしても英語で小説を書かねばならないとしたら、
やはり精神障害だけどある部分ですごく繊細で鋭い感性を持つ子供の独白にしただろう。
それなら言葉遣いや行動がおかしくても小説として成立する。
逆に言えば、それ以外、言語のハンディを補う方法が見つからない。
でも、私が考えつくのはそこまでで、アゴタ・クリストフの賢いところは、それを二人の少年による「記録」としたことだ。
私も自分で少年小説を書いたから実感として思うのだが、
大人が少年の目線で世界を見ようとすることにそもそも無理がある。
子供は大人ほど総合的に、あるいは辻褄が合うように世界を見ていないからだ。
だからたいていの少年小説は、主人公の少年(少女)がえらく大人びているか鋭い感性や知性の持ち主になってしまう。
そうしないと、物語として成立しないからだが、逆にそうすると、子供であることのリアルさが失われるという副作用がある。
その点、『悪童日記』はその二人の双子が「そう書いた」という設定になっている。
事実だけを書いているように見せかけて、ほんとうは事実だったかどうかわからない。
もっと言ってしまえば、子供が書いたかどうかもわからない。
しかも第二作以降では、それが二人だったのかどうかもわからなくなる。
こうして読者は謎の中に取り込まれていく。
自分が習熟していない言語で小説を書くのに、これ以上の妙手はない。
アゴタ・クリストフは結局、自分の致命的な弱点を最大限に利用する方法を編み出したのだろう。
で、さらに私はこの手法を自分で使えないかと考えてしまう。
というのは、ノンフィクションをやっている人間が小説を書くとき、文章がくどくなるという欠点があるからだ。
私を含め、エンタメノンフ文芸部の三人ともそうである。
ノンフィクションの書き手にとって、フィクション世界はひじょうに心許ない。
だからつい整合性にこだわり、「こういう世界だからこんなことが起きるんですよ!」とか
「この人がこう思うのはこういう理由なんですよ!」と書きすぎてしまうのだ。
もちろんそんな小説は面白くない。
私たちにとって、小説言語は習熟していない外国語みたいなものだから、
主人公を特殊な子供にするというのは一つの手じゃないか。
そしてそれが何かの「記録」として発見されたという体裁にする。
情景描写や心理がギクシャクしてもそれなら許されるし、逆に「ユニークな文体」として読んでもらえるんじゃないか。
まあ、これだけでは単に『悪童日記』をパクッただけと思われておしまいなので、
もうひとひねりしなければならない。
というか、ひねるのではなく、必然的に「こうせざるをえなかった」というポイントを見つけるしかないんだろう。
わかりそうでわからないところである。
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こんにちは。自分が苦境に立った時に 自分を見つめる小さな小人がいるって、おもしろいですねぇ。いかなる窮地に陥っても、それを克服できるという自信の現れか、或いは 楽観論的のんきな余裕か、はたまた 窮地で苦しむ自分を楽しみ味わうマゾッホ的自虐性でしょうか。高野さんは、ムベンべ調査でのマラリア感染、アマゾン紀行、インドシナ半島の麻薬栽培地での中毒症、などなど 常人の体験しえない過酷な体験を積み重ねられた結果、強い精神力を身につけられたのでしょうか。それとも、神経が鈍麻したのでしょうか。恐怖・心配・苦悩 など 負の精神世界とは 無縁なのでしょうか。