*

オタクの底力を感じさせる『タイ・演歌の王国』

公開日: : 最終更新日:2013/03/13 高野秀行の【非】日常模様


 タイ女性と結婚し、バンコクに十数年暮らしている友人Aさんが、「高野さん、この本、すごく面白いよ」と盛んに勧めるので
大内治『タイ・演歌の王国』(現代書館)を読んだ。

 大内さんの名前は言われて思い出したのだが、以前『タイ天使の国から――性を売る女たち』(マルジュ社)というタイの娼婦についての本を読んだことがある。
 タイトルからはあまり期待できなさそうなのだが、これがすごくタメになる面白い本だった。

 大内さんはどういう人か皆目わからないが、バンコクに十数年暮らしており、雑誌や書籍も自在に読めるタイ語力を駆使して、
具体的な事例やデータをたくさん引っ張ってきていた。しかも、文章も上手。
 私が『極楽タイ暮らし』を書いたとき、いちばん参考にさせてもらったネタ本で、今でも付箋がたくさん貼り付けられている。

 その大内さんの第二作が『タイ・演歌の王国』なのだが、読んでみたら、果たして労作にして名著だった。
タイで最も貧しく、しかし人口は最も多いイサーン(東北部)で圧倒的な人気を誇る演歌「ルーク・トゥン」や「モーラム」の
誕生から発展、そして今に至るまでの歴史的経緯、名作曲家、名歌手を文献資料やカセット、インタビューなどで徹底的に探り、
さらに著者自ら人気歌手や楽団の追っかけとなり、タイ全土を歩き回る。

 一般の「タイ本」には全く出てこない、もう一つのタイ、それも巨大なタイが出現する。

 Aさんは本書と著者をこう評する。

「タイの庶民の音楽をここまで深く掘り下げて書く人は世界中探してもないと思う。これはやっぱり日本のオタクの力だ」

 まさにそのとおり。大内さんは研究者でもなく、ただただタイの演歌が好きというだけなのだ。なのに、楽団のおっかけをし、
毎回、タイの庶民に混じって外国人ひとりだけで、最前列の席でカメラを構え、始まる前から終わりまでガン見(?)し、
しまいには歌手や踊り子、マネージャーなどと親しくなり、楽屋に出入りもする。
踊り子たちの給料まで調べ上げてしまうから脱帽ものだ。
 
 調査の方法や書きぶりはひじょうに冷静で客観的。文章は端正。とくに歌詞の訳は見事の一言。
 アカデミズムでもジャーナリズムでも文芸評論でも十二分に通用する。
 世界的に価値がある著作と言っていい。

 だが、この本が実際に評価されるかというと、別問題だ。
 アカデミズムの世界でも、ジャーナリズムでも、全く評価されないだろうし(だいたい学者やジャーナリストは本書に気づいてないだろう)、かなりの程度タイを知らないと本書は読んでもわからないので、一般の読書界から評価されることもない。
 もっとはっきり言えば、この本を書くことが自分の人生におけるキャリアアップや収入に何もつながらない。
 著者はそんなことは百も承知で、でも真剣に情熱をこめて書いている。
 これは何かというと、やはり「オタク」というしかない。
 
 日本の男子は保守的だとよく言われるし、私もそう思う。
 女子はタイ料理でもなんでもバンバン食べるし、いろんなところへ行っていろんな人と臆せず話すが、
男子は好き嫌いが激しく(パクチーが食べられないと言う人はほとんど男子だ)、引っ込み思案の人が多い。

 しかし、日本男子は一見情けないようにみえて、とにかくしつこい。細かい。勉強好きでもある。知的水準も高い。
そんな人たち、つまりオタクが日本の文化をかなりの部分で支えていることは間違いなく、
本書も彼らの優秀さを存分に証明している。

 日本が世界に誇れるオタク文化は、アニメや漫画の海外発信とは別次元で、
海外に雄飛しているのである。

 

関連記事

no image

「飲み」の黄金世代

一緒にコンゴにも行った駒大探検部の先輩・ノノさんがついに結婚、 新婦の地元で式と披露宴が行われた。

記事を読む

no image

雲南のツヨカワ花嫁

カゼをひいていたが、雪が降り始めたのでついプールに行ってしまう。 案の定、泳いでいる人はほとんどいな

記事を読む

no image

ホンノンボ

今月11日ごろ発売の「本の雑誌」7月号で、 ”タマキング”こと宮田珠己の『ふしぎ盆栽 ホンノンボ』

記事を読む

no image

新刊入荷『青春の門』

今日も外出。 といっても毎日、最終的にはワセダの「野々村荘」に落ち着く。 これは外出ではなく、アパー

記事を読む

no image

別ジャンルで2つ上がる

「本の雑誌」2008年1月号が届いた。 2007年度ベスト10に『怪獣記』が6位にランクイン。 昨

記事を読む

no image

帰国、暑い、その他

タイより帰国した。 みなさんから聞いていたとおり、暑い。 チェンマイはもちろん、バンコクも比較になら

記事を読む

no image

手がもぞもぞ

ジュンク堂新宿店で上映会+サイン会。 ここで本を見たり買ったりする以外に自分が何かするというのは な

記事を読む

no image

可哀想なレビュアーの話

角田光代の『紙の月』(角川春樹事務所)を読んでから、アマゾンのレビューを見た。 「駄作です」という

記事を読む

no image

多忙な土曜日

「本の雑誌」2月号届く。 私も「レフリー・ジョー高野」として参加したプロレス本座談会は、 なかなか

記事を読む

no image

知られざる名作がまた一つ

桜栄寿三『蝸牛の鳴く山』(藤森書店)を読む。 先日お会いした作家の古処誠二さんが「すごくいい本です

記事を読む

Comment

  1. ATM より:

    > タイへ行く人の数自体、女子のほうが男子よりずっと多いし、

    えーと、すみません。このデータってどこにあります?
    かなり古いデータで、元データへのアクセスもできませんが、このブログによれば、タイへ旅行に行く日本人は、男が女より3倍も多いそうです。

    日本人旅行者の実態、タイの観光業の課題~~ パタヤ大好き
    http://mythailand.blog79.fc2.com/blog-entry-109.html

    もしかして、単なる個人的な感覚で語ってるのでしょうか?

  2. しん より:

    おー高野さん、読まれたんですね。
    この本「タイ・演歌の王国」を初めて見たとき。表紙にタイ文字が書いてある。っと思ってよくよく見たらタイ文字風の英語フォント。胡散臭いなぁ~と思いながら読みましたが、とても面白い本でした。タイの音楽を掘り下げた日本の書籍といえば前川 健一「まとわりつくタイの音楽」が有名ですが、この本もタイ音楽のジャンルのルークトゥン、モーラムを掘り下げたとてもユニークな本ですね。しかし、よくこの本、出版できたなぁって思うぐらいディープな本ですよね(笑)

  3. ウィズ より:

    はじめまして、高野先生の大ファンです。先日発売されたソマリランドの本ですが、北九州市の本屋さんを自分の思いつく限り回ったのですが、全ての本屋さんに現物が置いておらず、注文の後一週間待ちという状態です。これでわダメだと思いメールしました。炎の営業の杉江さんの穴を蹴っ飛ばしてでも、書店にソマリ本を置いてもらうようにしてください。自分は一週間前に注文して、今日手に入りました。これから楽しく読もうと思います。

  4. 高野 秀行 より:

    >ATMさん、
    ご指摘ありがとうございます!
    男より女のほうがずっと多いというのは、おっしゃるとおり、単なる個人的な感覚で、何も根拠がありませんでした。

    考えてみたら、自分の見聞きする範囲でそうだというだけでしたね。
    私の周りには企業関係の人もいないし、女を買いに行く人もいないので
    なおさらそう感じたのかもしれません。

    自分とその周りを基準にしてはいかんということです。
    大変失礼をばいたしました。

しん へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。

no image
イベント&講演会、テレビ・ラジオ出演などのご依頼について

最近、イベントや講演会、文化講座あるいはテレビ・ラジオ出演などの依頼が

ソマリランドの歌姫、来日!

昨年11月に、なんとソマリランド人の女性歌手のCDが日本でリリ

『未来国家ブータン』文庫はちとちがいます

6月23日頃、『未来国家ブータン』が集英社文庫から発売される。

室町クレージージャーニー

昨夜、私が出演したTBS「クレイジージャーニー」では、ソマリ人の極

次のクレイジージャーニーはこの人だ!

世の中には、「すごくユニークで面白いんだけど、いったい何をしている

→もっと見る

    • アクセス数1位! https://t.co/Wwq5pwPi90 ReplyRetweetFavorite
    • RT : 先日、対談させていただいた今井むつみ先生の『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(秋田嘉美氏と共著、中公新書)が爆発的に売れているらしい。どんな内容なのかは、こちらの対談「ことばは間違いの中から生まれる」をご覧あれ。https://t.c… ReplyRetweetFavorite
    • RT : 今井むつみ/秋田喜美著『言語の本質』。売り切れ店続出で長らくお待たせしておりましたが、ようやく重版出来分が店頭に並び始めました。あっという間に10万部超え、かつてないほどの反響です! ぜひお近くの書店で手に取ってみてください。 https:/… ReplyRetweetFavorite
    • RT : 7月号では、『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)が話題の高野秀行さんと『ムラブリ』(同上)が初の著書となる伊藤雄馬さんの対談「辺境で見つけた本物の言語力」を掲載。即座に機械が翻訳できる時代に、異国の言葉を身につける意義について語っ… ReplyRetweetFavorite
    • オールカラー、430ページ超えで本体価格3900円によくおさまったものだと思う。それにもびっくり。https://t.co/mz1oPVAFDB https://t.co/9Cm8CjNob8 ReplyRetweetFavorite
    • 文化背景の説明がこれまた充実している。イラク湿地帯で食される「ハルエット(現地ではフレートという発音が一般的)」という蒲の穂でつくったお菓子にしても、ソマリランドのラクダのジャーキー「ムクマド」にしても、私ですら知らなかった歴史や… https://t.co/QAHThgpWJX ReplyRetweetFavorite
    • 最近、献本でいただいた『地球グルメ図鑑 世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味』(セシリー・ウォン、ディラン・スラス他著、日本ナショナルジオグラフィック)がすごい。オールカラーで写真やイラストも美しい。イラクやソマリランドで私が食べ… https://t.co/2PmtT29bLM ReplyRetweetFavorite
  • 2024年4月
    « 3月    
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    2930  
PAGE TOP ↑