*

『困ってるひと』再び

公開日: : 高野秀行の【非】日常模様

私の記念すべきプロデュース第一作、大野更紗『困ってるひと』(ポプラ社)が文庫化された。
たった一年でなぜ文庫?と思われるだろう。私にもよくわからない。

なにしろ、この本は発売直後から大爆発し、あっという間にベストセラー入り(最終的には15万部以上売れた)、
大野さんはあちこちに引っ張りだこで、糸井重里氏や五木寛之氏など各界著名人と対談し、朝日や読売でも識者として社会問題にコメントを求められる売れっ子となった。
とっくに私の手から離れて、というか手の届かないような存在となってしまったわけだ。

今回の文庫の帯は「しょこたん」こと中川翔子という人の写真とコメントだが、当然のように私はこの中川さんというのがどういう人か知らない。
超人気ブロガーでマルチタレントというが、正直、なんだかさっぱり…である。

というわけで、私が本書を今さら宣伝する意味はないのだけど(逆に私の本に大野さんから推薦のコメントをもらいたいくらいだ)、
それでもちょっとだけ書いておきたいことがある。

本書は各地で絶賛されているが、売れるというのは敵や反対派も多数生むことになる。村上春樹がいい例だろう。
大野さんもネットのレビューを見ると、いろいろな批判にさらされている。
本は読み手の解釈によるのだから、いろいろな解釈があっていいし、この本が気にくわないという人の気持ちもわかる。
ただ、あまりに的外れで無意味な批判があって、それにはどうしても反論したくなる。

一つは「両親を「ムーミン」呼ばわりしている。親をバカにするにもほどがある。親に対する感謝や尊敬の気持ちがない。」…というもの。

これは誤りだ。なぜなら、ご両親はムーミン・パパ、ムーミン・ママという呼び名をわりと気に入っているからだ。
私が彼女の実家を訪ねたとき、お父さんは「はじめまして。ムーミン・パパです」と笑顔で名乗っていたくらいだ。
もちろん、ムーミンと呼ばれて怒る親もいるだろうし、とくに何とも思わない親もいるだろう。でも、大野さんのうちは、
娘が「ムーミンて呼んでもお父さんお母さんは怒らないよね」と普通にわかるだけの関係にあるわけだ。
こんなことは大野さんは自分からは恥ずかしくてマジメに反論もできないだろうから、私が代わりにしておきたい。
ちなみに、ご両親はほんとにやさしくて体型も曲線だけで成り立っていてムーミンそっくりの方々だった。
…なんて、私が書いても恥ずかしくなるな…

もう一つはもっとシリアスな問題で、「担当医の先生に対する感謝や尊敬の気持ちがない」というもの。
これ、実は私も再読しているときにちょっと気になった。(本を作るまではそうは感じなかった)
もちろん、感謝や尊敬の気持ちが全くないわけではなくて、でもちょっと先生方に対するコメントが厳しすぎるような印象を受けたのだ。

これは大野さんに話を聞くうちに少しわかってきたが、担当医の先生「クマ先生」と「パパ先生」と大野さんは、ある意味でだんだん「疑似親子」的な関係になっていったらしい。
中学生の娘と親と言えばわかりやすいか。親は娘のことに全責任を負い、面倒をみる。親なくして娘は生きていけない。
その一方、娘は親が自分のことをわかってくれないと思う。実際、親は自分の価値観で生活し、意見を言い、子どもがどう思っているかあまり頓着しない部分がある。

さらに、ふつうの親子以上に難しいのは、先生は超多忙で他の患者さんも抱えているということ。
家庭も犠牲にして働いているから、ましてや難病患者が社会でどう生活するか想像したり情報をえたりする余裕がないらしい。
また、関係が慢性化していくと、互いに感謝したり褒めたりしなくなるというのは、私と彼女の関係でも見られたことなので、
ひじょうにリアルに察しがつく。(私もパパ先生かクマ先生みたいになっていったわけだ)

でも、かといって、大野さんが先生方に対する感謝や尊敬の念を失ったわけでは全然ないと思う。
なぜなら、彼女のペンネームのうち「大野」とは、二人の先生から一字ずつもらって作った名字だというからだ。
尊敬や感謝が薄くて、批判的な相手から名前をもらうだろうか。
というか、そこには尊敬や感謝以上の特別な結びつきが感じられる。
やはり、それにいちばん近いのは親子の間にある親愛の情ではないだろうか。

この文庫化に合わせて、「困ってるひと」の続編が準備されているという。
私はもう関わっていないが、きっとその中で先生方とのやりとりがもっと深く描かれるにちがいない。

それから、文庫になり、久しぶりに『困ってるひと』を読んだが、時間をおいたせいだろう、私がいちばん初めに原稿をもらって読んだときの
瑞々しい印象を思い出した。
本になるかどうかさえわからなかったのに、ただ一心に、でも笑いをふんだんにちりばめて綴った文章は
今でも輝いている。

大野さん、この一年もよく頑張ったね。
それで、今度は私の本に絶賛コメントをよろしく!

関連記事

新キャラ・パープル旬子の『捨てる女』登場!

あと二時間ほどで家を出る。旅の準備はだいたい終わったと思ったら、大事なことがまだだった。 内

記事を読む

no image

草思社倒産

草思社が事実上、倒産した。 あれだけコンスタントにベストセラーを出し、 一時は幻冬舎と並んで新聞で紹

記事を読む

no image

漂流するトルコ

小島剛一『漂流するトルコ』(旅行人)をついに読んだ。 もともとは私が小島先生に「(名著『トルコもう

記事を読む

no image

踊るダルビッシュの謎

斉藤祐樹が日本ハムに入団したため、以前にも増してダルビッシュ有のニュースが多い。 で、思い出したの

記事を読む

『恋するソマリア』装丁公開

ついに1月26日刊行の『恋するソマリア』(集英社)がAmazonでもカバーと詳細情報がアップされ

記事を読む

no image

お詫びとやり直し

先日このブログで内澤旬子さんについてかなり失礼なことを書いてしまったような気がする。 あまりに刺激

記事を読む

no image

Bangladesh

Bangladesh no shuto,Dhaka ni iru. 20nenmae no

記事を読む

no image

白石顕二さんを悼む

今年の3月にこのブログ上で「アフリカの奇跡!」と題する話を書いた。 そこで紹介した白石顕二さんが先

記事を読む

no image

冷や汗をかいた…

『本の雑誌 おすすめ文庫王国2006』が発売された。 毎年楽しみにしているムックだが、今回は私自身も

記事を読む

no image

一言でいえば飲みすぎ

月曜日は、先日急逝した堀内倫子さんを偲ぶ飲み会を催した。 親しい友人、ご兄弟、それに彼氏だった人も交

記事を読む

Comment

  1. hu より:

    しょこたん、大槻さんのお友達といえば大体正しいのではないかと。

  2. SJ次郎 より:

    読ませて頂きました。
    大野さん本人は、体調がメチャクチャ悪くてとても大変なんでしょうが、それをおもしろ可笑しく書かれていて非常に新鮮でした。
    一部の大野さんへの批判を庇っている高野さんの優しさも凄く感じました。誉めすぎかな?
    NHK出演おめでとうございます!

  3. かおる より:

    難病との戦いを明るく楽しくしかしその中で、関係する人の観察力は作家の道をたどる予感であったのではないでしょうか・・・・・
    人との関係性をよく描けていると感じました。また、元来人間が好気なのかもしれません。噂によりますと7月11日夜講演会をすると・・・・期待しています。

  4. […] 彼女の書籍「困っているひと」を購入してきました。 […]

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

デビュー35周年記念・自主サバティカル休暇のお知らせ

高野さんより、「デビュー35周年記念・自主サバティカル休暇」のお知らせ

no image
イベント&講演会、テレビ・ラジオ出演などのご依頼について

最近、イベントや講演会、文化講座あるいはテレビ・ラジオ出演などの依頼が

ソマリランドの歌姫、来日!

昨年11月に、なんとソマリランド人の女性歌手のCDが日本でリリ

『未来国家ブータン』文庫はちとちがいます

6月23日頃、『未来国家ブータン』が集英社文庫から発売される。

室町クレージージャーニー

昨夜、私が出演したTBS「クレイジージャーニー」では、ソマリ人の極

→もっと見る

  • 2025年8月
     123
    45678910
    11121314151617
    18192021222324
    25262728293031
PAGE TOP ↑