*

宣教師ニコライのファンになる

公開日: : 最終更新日:2012/05/28 高野秀行の【非】日常模様


今、「移民の宴」で在日ロシア人取材をやっているので、その資料として中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』(岩波新書)を読んでみたら、
意外なほどに面白かった。
なにしろ、ロシア正教なんて、日本人の一般的知識に全く入ってこない。
だから、何を読んでも秘話ばかりだ。
例えば、ニコライが洗礼を施した最初の信者が坂本龍馬の従弟だったというのも一般には知られてない話だろう。(この前、NHKで坂本龍馬の子孫の番組をやっていたから、そこでは
語られていたかもしれない)
幕末、攘夷派で武芸の達人だった沢辺は、異国の僧侶ニコライに敵意を燃やし、
論戦を挑む。
その結果いかんでは「一刀両断」にしてやろうと思っていたら、
ニコライに「私たちの教義を知っているのか? 知らねば、教えてあげよう」と言われ、
勉強をはじめ、やがて「日本という国のために役立つ」と思って洗礼を受け、
のちには激しい情熱でもって布教を行った。
本書では「まるで日本版パウロの回心のよう」と書いているが、
勝海舟を斬りに行って逆に取り込まれてしまった従兄とそっくりの行動パターンと結果である。
沢辺は土佐藩士だったが、初期の信者の核をなしていたのは、主に奥羽列藩の旧士族だったという。
戊辰戦争の敗者は、「新しい国には新しい一つの神が必要」と思っていたが、
薩長藩閥政府を忌み嫌い、これを打倒する新たな神の国を作る志士を自認してもいたらしい。
明治維新になってから「志士」、しかもそれで「ロシア正教」というのが面白い。
なんというか、ロシア正教には、こういう歴史の皮肉じみたものが
ずっとつきまとう。
日露戦争のときは、ニコライは日本人信者に「皇軍のために祈りなさい」と教えつつ、
母国ロシアが連戦連敗する報を聞いて絶望にかられた。
ロシア正教は、「祖国愛」をひじょうに強く教えるので、こういう矛盾が生じるのである。
他の欧米人がロシア人を嫌う程度にも驚かされた。
日露戦争当時、イギリス人が発行していた英語紙「ジャパン・デイリー・メイル」では、
「(ロシアは)実に野蛮で実に卑劣な国であるから、地球の表面から拭き取って消してしまってもまだ仕打ちが足りないくらいだ」と書かれたという。
どれほど嫌われているのだろうか、いったい。
ニコライは祖国の無残な敗北と他のヨーロッパ人からの罵詈雑言に苦しんでいたが、
当のロシア帝国軍の数万に及ぶ捕虜は、日本でけっこういい生活を享受していた。
日本人にとても親切にされていたという。
その証拠に、戦争後、故郷に帰ったロシア軍人たちからニコライのところへ
「日本女性と結婚したいから紹介してくれ。寡婦でもいい」という手紙がたくさん来た。
ロシア人は基本的に能天気であることがわかる。
「将来どうなるかわからないのに、故郷を捨てるような優しい日本女性がどこにいるのだ」と、こっちこそ心優しきニコライ神父は嘆き、花嫁斡旋を断ったそうだ。
ニコライは、日本人を正しい道に導くためにやってきたのに、
仏教や神道を尊ぶ日本人が大好きという人だった。
西欧的な近代化に背を向け、古き良き日本を愛した人だった。
その矛盾ぷりと、でも本人の中には矛盾は一切なくぶれのない人生が魅力的で、
その真っ直ぐで飾らないところが最近取材している今のロシア人とひじょうによく重なる。
著者の簡潔な文体と相まって、私はすっかりニコライ・ファンになってしまったのだった。

関連記事

no image

ひそやかな花園

友人と午後1時に品川駅高輪口に待ち合わせだったのだが、 こういうときにかぎって30分以上も前に着い

記事を読む

no image

「間違う力」と「巻き込まれる力」

話すと長くなるが、成り行きで、ソマリランドの新聞に日本の中古車輸出会社の広告を載せるという仕事をやっ

記事を読む

no image

腰痛探検家

11月に集英社文庫から刊行予定の『腰痛探検家』のゲラが出たので、 久しぶりに読み返したところ… あま

記事を読む

no image

異文化の二日酔い

何でも面白かったり気持ちよかったりすると歯止めが効かなくなるのが 私の悪癖だ。 「ほどほど」でいられ

記事を読む

no image

講談社ノンフィクション賞の最終候補になった

以下のようなことになったそうです。 -----------------------------

記事を読む

no image

突然、魂の叫び

どこか遠くへ行きたい−−。 これは平凡な日常に飽きた人間がよく思い浮かべることだろう。 私もよくそう

記事を読む

no image

今年からノンフィクション作家

みなさん、明けましておめでとうございます。 今年は何をするか。 まずは肩書きを変えることにした。 正

記事を読む

no image

お湯割をください。涙の数だけ

さまざまな困難を乗り越え、 イランでの「アルコールクエスト」を続けている。 イランに来て、やっと一週

記事を読む

2013年に読んだノンフィクション・ベストテン

毎年恒例となっている「今年読んだ本ベスト10」をやるのをすっかり忘れていた。 今急いでやります。

記事を読む

no image

謎の音楽家or神秘思想の徒バウル

ソマリランド本の仕事から解放されてからは、本が思うように読めてとても嬉しい。 先週も面白い本を

記事を読む

Comment

  1. コシチェイ より:

    AGENT: DoCoMo/2.0 N05A(c100;TB;W24H16)
    お久しぶり!寒いですね!誰かが「ロシアは西洋でもなく東洋でもない。いわば中洋だ。」みたいな事を言っていました。スラブ民族はヨーロッパ人とどこか違うんでしょうね。「雪男捕獲騒ぎ」とか平気で無茶苦茶な真似しますし…

Message

メールアドレスが公開されることはありません。

no image
イベント&講演会、テレビ・ラジオ出演などのご依頼について

最近、イベントや講演会、文化講座あるいはテレビ・ラジオ出演などの依頼が

ソマリランドの歌姫、来日!

昨年11月に、なんとソマリランド人の女性歌手のCDが日本でリリ

『未来国家ブータン』文庫はちとちがいます

6月23日頃、『未来国家ブータン』が集英社文庫から発売される。

室町クレージージャーニー

昨夜、私が出演したTBS「クレイジージャーニー」では、ソマリ人の極

次のクレイジージャーニーはこの人だ!

世の中には、「すごくユニークで面白いんだけど、いったい何をしている

→もっと見る

    • アクセス数1位! https://t.co/Wwq5pwPi90 ReplyRetweetFavorite
    • RT : 先日、対談させていただいた今井むつみ先生の『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(秋田嘉美氏と共著、中公新書)が爆発的に売れているらしい。どんな内容なのかは、こちらの対談「ことばは間違いの中から生まれる」をご覧あれ。https://t.c… ReplyRetweetFavorite
    • RT : 今井むつみ/秋田喜美著『言語の本質』。売り切れ店続出で長らくお待たせしておりましたが、ようやく重版出来分が店頭に並び始めました。あっという間に10万部超え、かつてないほどの反響です! ぜひお近くの書店で手に取ってみてください。 https:/… ReplyRetweetFavorite
    • RT : 7月号では、『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)が話題の高野秀行さんと『ムラブリ』(同上)が初の著書となる伊藤雄馬さんの対談「辺境で見つけた本物の言語力」を掲載。即座に機械が翻訳できる時代に、異国の言葉を身につける意義について語っ… ReplyRetweetFavorite
    • オールカラー、430ページ超えで本体価格3900円によくおさまったものだと思う。それにもびっくり。https://t.co/mz1oPVAFDB https://t.co/9Cm8CjNob8 ReplyRetweetFavorite
    • 文化背景の説明がこれまた充実している。イラク湿地帯で食される「ハルエット(現地ではフレートという発音が一般的)」という蒲の穂でつくったお菓子にしても、ソマリランドのラクダのジャーキー「ムクマド」にしても、私ですら知らなかった歴史や… https://t.co/QAHThgpWJX ReplyRetweetFavorite
    • 最近、献本でいただいた『地球グルメ図鑑 世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味』(セシリー・ウォン、ディラン・スラス他著、日本ナショナルジオグラフィック)がすごい。オールカラーで写真やイラストも美しい。イラクやソマリランドで私が食べ… https://t.co/2PmtT29bLM ReplyRetweetFavorite
  • 2024年4月
    « 3月    
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    2930  
PAGE TOP ↑