蝉時雨

密林の夜と昼の一番の違いはなんだろう。
密林を徘徊していると必然的にアップダウンを繰り返す。
そのたびに異なる虫の声、鳥の声、蛙の声などが聞こえてくる。
峠を越えるとほえ猿の叫び声が遠くに響いてきた。
変わった植物が現れ、少しずつ異なる景観を形作っていく。
そんな時のジャングルは、ただただ無限の広さを感じさせてくれる。
『果てしない広さ』これがジャングルのイメージだ。
一方、日が暮れて、漆黒の闇があたりを覆い尽くすと
ジャングルは、自分の存在を中心に一気に凝縮してしまう。
無限の広さに展開していた生き物も全てが自分の周りに
集まってくるような気がするものだ。
湯を沸かした後の小さなたき火の明かりが届く限界点の
直ぐ外に、トラなどの肉食獣が息をひそめているように思える。
どこかに緊張感を持ちながら、昼間の疲れから眠りに落ちていくとき
自分が「生と死の狭間」を越えていくような錯覚に襲われる。
「生き物の密度の濃い空間」これが夜のジャングルのイメージだ。
2つの全く異なるジャングルのイメージを繋ぐのは「蝉」である。


日本で山歩きをしていて、時々体験するアブラゼミやミンミンゼミ競演による
大音響の蝉時雨は心理的に夏の暑さを助長することが多い。
それにくらべて、夕暮れ時の「ひぐらし」の鳴き声は、
もう家へ帰らなければならない合図のようで、やたらもの悲しい。
ジャングルで、宿泊地を決めて少し早めに夕食の準備を始めようとする頃
地面から湧き上がるのか、空から振ってくるのか、高音大音響の
蝉時雨があたりを覆い尽くす。
水を汲みに行った川のほとりなどで、この蝉時雨に襲われると
全く身動きが取れなくなってしまう。
「シャー」高音でいて、どことなく深みのあるなんとも言えない
豊かな音に全身を包まれて、体中を感動が走るのである。
人によっては、荘厳な宗教的感慨をもつ人もいるのではないか。
そしてそのすばらしい音のショーが終わると、つるべ落としと表現される
熱帯の陽は瞬く間に落ち、夜のとばりがおりることになる。
昼と夜の境目に聞こえる2つの蝉の声だが、熱帯版ひぐらしは荘厳ではあっても
決してもの悲しくはない。
蝉の声のトーンによるのかもしれないが、日本版『ひぐらし』の後に待っている
『家族の団らん』への郷愁と違い、熱帯版は『暗闇の恐怖』に対する心の準備を
しなければならない。
この現実が印象の違いを生んでいるように思えてならない。
一聴の価値有りである。

“蝉時雨” への25件の返信

  1. AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
    さすがに臨場感にあふれていますね。
    熱帯を訪れた記憶が蘇ります。
    熱帯林の夜は、独特の湿度と共に、闇自体が命を持って押し潰してくるように感じる瞬間がありました。
    「密度が濃い」という表現がよくわかります。

  2. AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Mac_PowerPC)
    Monticolaさん 
    おほめいただいて恐縮です。
    ねっとりとした湿度感ですよね。
    闇の黒さが溶け込んだような。
    暗闇に懐中電灯を持って用足しに行く時は
    今でも結構どきどきします。

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