再プッシュ

高野秀行氏のブログ『ムベンベ』でも紹介されているが
氏の対談集『放っておいても明日は来る』は爆発的に売れない代わりに
コンスタントに出ているそうだ。


大分捌けてきたということでかどうかわからないが、
編集をしてくれた本の雑誌社のSさんは再プッシュをする、という。
同社の立ち読みサイトに私の登場ページの一部が掲載されているので
ちょいと寄って読んでみて欲しい。
これは明治大学同窓生への業務連絡になるが
年に3回発行されている同窓生向けの大学広報誌
『明治』で今回からスタートする企画『世界へ〜そこで生きる』の
栄えある第一回に私が登場している。
できれば第二回はイタリアに渡った長友選手にしてもらいたい。
いいのか悪いのかわからないが、せっかくなのでここに引用する。
自分の文章なのでいいことに…

校友の皆さま、はじめまして。平成元年農学部卒業の二村聡と申します。当連載の栄えある第一回執筆者にご指名いただき、大変感激しています。私よりも長く、そして大成功を収めていらっしゃる海外の校友の皆さんがたくさんいらっしゃることは重々承知しておりますが、折角のご指名ですので僭越ながら務めさせていただきます。しばしお付き合い下さい。
平成元年に母校を卒業、バブル経済に沸く日本を後にして、私が単身向かった先は東南アジアの優等生、イスラム国家のマレーシアです。近年その治安の良さや物価の安さなどの総合評価で定年退職後の第二の人生を送る国としてテレビなどで紹介されることが多くなりましたが、タイ、インドネシア、シンガポールなどの周辺諸国に比べると地味な印象の国であることは否めません。しかし、生活する国としては落ち着いていて非常に素晴らしいということはぜひ宣伝させて下さい。
ところで皆さんは2010年が『国際生物多様性年』だということをご存知ですか?また10月には名古屋で『第10回生物多様性条約締約国会議COP10』が開かれるということをご存知でしょうか?『生物多様性条約』などと書くとちょっと堅苦しい感じですし、自然保護と関係があるの?と思う方も多いのではないでしょうか?それも間違いではないのですが『生物の生息する多様な環境、そこに生息する多様な種、その種の中の遺伝子の多様性』それらをひっくるめて『生物多様性』と呼び、これを守っていこうという国際的取り決めが生物多様性条約です。この条約の面白いところは、ただ保護をうたったものではなく、生物が存在する国に主権を与え、持続可能な利用と主権国に対する衡平な利益配分を促している点でしょう。つまり日本にいる生物についての主権は日本にあり、利用したい人は日本から許可を取らないといけません。またそこから生じる利益は原則として日本にも還元されないといけないのです。『日本』を自然の豊かな『発展途上国のある国』に置き換えてみると、許可を取って、しかも利益還元するのって大変そうだ、ということがわかりますよね?私の会社はその面倒くさそうな許可を原産国である発展途上国からいただき、原産国への利益還元を考慮した仕組みを通して、薬の元になる物質を探したり、工業用の酵素を探したりといった研究をしているのです。地元への還元という観点から、現地の研究員が研究に従事しますし、当社がお客さんからいただく研究費の一部を国や地方行政へ利益還元しています。また研究で生まれた知的財産権はお客さん、我々、現地の機関が共同で取得しますし、研究成果が商品となった場合にはロイヤルティの一部を現地機関に還元します。現在、当社はマレーシアの半島部、ボルネオ島、ブータン王国と提携し、研究活動を実施しています。またアフリカや南米の国々との提携交渉も着々と進めている所です。地球上にはまだまだみつかっていない面白い生物や人類にとって有益な生物がたくさん存在します。それを見つける面白さがこの仕事の一番の魅力です。また生物多様性条約という立派な取り決めがあっても、利用したい側と所有する側の思惑が一致せず、契約が不成立となり、素晴らしい生き物が宝の持ち腐れになってしまうことも多いのです。両者を橋渡しし、特に所有者である発展途上国に喜ばれるのがこの仕事のもう一つの魅力です。どうです、なかなか魅力的な仕事でしょう?
近年若者たちが海外志向を持たなくなっていると聞き、少し残念に思います。時代が違うと言ったらそれまでですが、地元の人々に受け入れられる人懐っこさと、困難に直面してもあきらめずに頑張りぬく勇気と強さを持った植村直己氏のような大先輩を持つ明治の校友の皆さんには、地球を舞台に活躍するダイナミックな人材を輩出していただきたいと思っています。それでは地球のどこかでお会いいたしましょう。
1963年 東京都出身
1985年 会社勤めの後明治大学農学部農学科に入学
1989年 卒業後単身マレーシアへ
1997年 現在経営する会社の前身Nimura Plant Lab.をマレーシアで設立
2000年 株式会社ニムラ・ジェネティック・ソリューションズを日本で設立
同年   100%現地子会社Nimura Genetic Solutions (M) Sdn. Bhd.設立
代表取締役として現在に至る。
UNEP ABS Knowledge Hub Expert
『生物資源アクセス』東洋経済新報社(共同編著)ほか雑誌等への執筆多数
*明治大学マレーシア紫紺会会長を仰せつかっております。

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