「地球の未来は生物資源が握っているわけじゃないですか!」
全く同感である。
石油代替エネルギーや素材などの研究者は生物を利用した研究をしている。
やがてその成果が実を結ぶようになるだろう。
その時エネルギーにしても、食料にしても、どれだけ多くの、
そしてどれだけ多様な生物資源を持っているかが勝負になる。
自明である。
もちろん栽培や養殖によって確保できる種類や量もあるだろう。
しかし海や熱帯雨林が抱えている生きものの量や多様性には
到底敵わないのだ。
また大事な条件だが、生物資源の利用が一回きりであってはならない。
何回も何回も繰り返して使える方法を考えないといけないのだ。
そして残念なことに生物資源の維持にはコストがかかる。
いかに世のためとは言えそれを資源を保有する国(多くが発展途上国)が
自分たちでまかなうことはやはり難しい。
利用によって得られる利益(主に先進国の)を
保有国に還元していかなければならないのだ。
生物資源の未来
先日マレーシアで知り合った友人で当ブログでも何回か紹介している
非常に素晴らしい内容のブログ『サステナラボ』(←リンク参照)を運営している
株式会社レスポンスアビリティ代表取締役社長の足立直樹さんと食事をした。
BelumをBelumにした男
ここ何日かマレーシアの新聞を賑わしている名前がある。
『Chin Peng (陳平)』という人名がそれだ。
本名王文華。マラヤ共産党の主導者として第二次大戦中の対日抗争(英国より叙勲)や
大戦後の対英抗争(独立戦争ということかな)を指揮した人物である。
マレーシア独立後は、中国、ベトナムの共産党による武装革命に同調し
ゲリラ活動(テロ)を指揮した。
武装闘争中の一般人、軍人の犠牲者は1000人を超えるという。
現在85歳の彼はタイに亡命中で、以前からマレーシアへの帰還を望んでいるが
マレーシア政府は認めていない。
1989年(トシがマレーシアに来た年だ)12月に政府との間で抗争終結を意味する
和平交渉が成立し、マラヤ共産党は事実上消滅した。
彼の同僚たちは続々と亡命先からの帰還が認められたがただ一人彼だけが
認められないでいる。
彼の帰還を認めるべきだと、野党第一党PKR党首で元副首相のアヌワル氏が発言した
ことが今回のニュースの震源地だ。
2nd Ura Matsutake Festival
日本滞在中なので、ブータン情報をまた。
多くの読者の方には全く関係ないだろうし、
告知をしても誰でも参加できるわけではないのだが、
8月5日〜8月7日にかけてブータンの東部ウラというところで
第二回マツタケフェスティバルが開催される。
ブータン農業省のサイトにPDFでの案内があるので
興味のある方はご覧いただきたい。
日本とブータンの経済交流において、輸出品目で最も大きな数字を
上げているのがマツタケの輸出だそうである。
*ちなみに輸入は車と部品関係のようだ。
フェスティバルの資料によると、7月上旬から9月上旬までがマツタケシーズンだそうで
次回訪問(7月にずれ込む予定)はシーズン真っただ中。
マツタケは腹いっぱい食べる手のものではないが、やはり楽しみである。
やはりスゴイ国だ、ブータン。
今週の月曜日(5月25日)からブータンの生物多様性センターの人たちが
当社の見学と共同研究の打ち合わせに来ていた。(今日帰国)
NHKの取材が二日も入ったりしてやはりブータンに対する興味は大きいと実感する。
さて、私はもうブータンを愛してしまっていて、
公平に判断できないところがあるので、以下のエピソードを
読者の皆様に判断をゆだねてしまおうと思うのである。
今回の打ち合わせに際して当社の中堅スタッフが、
『当社との共同研究で環境問題解決に貢献できる、という提案をしたいけどいいか?』
と聞いてきた。
彼はもともと新しい提案に関して非常に熱心なスタッフであるので
プレゼンの内容もプレゼンも彼に任せてみることにした。
プレゼンの内容は、細かく書けないが、『農薬』や『化学肥料』の過剰使用といった
国内規制の緩いほとんどの発展途上国の非常に大きな問題を抑制できる可能性がある、
という内容である。
マレーシアでも、高原野菜の産地であるキャメロンハイランドを流れる、見た目には
清流がマレーシア国内のどの川よりも汚染指数が高い、という形で顕在化している。
当社スタッフのプレゼンはいろいろなデータを集めたなかなか説得力のある
よいプレゼンであった。
プレゼン終了後、ブータンからの客人はプレゼンの内容と説明に
深々と感謝した後語ってくれた。
『我々の国ではふつう、各農家が5,6頭の牛を飼っています。
毎日の仕事の一つはこの牛たちの寝床を落ち葉や藁などで
作ることです。牛の寝床は毎日糞やおしっこで汚れますので
替えてえてやらなければなりませんから。
汚れた敷き草は畑近くの一か所に積み上げていきます。
そしてこれらをうまく発酵させて堆肥を作るのです。
ブータンには大規模農業を行うところはまだありませんので
このような原始的な方法で肥料を作っても十分間に合うのです。』
また農薬については
『我々は仏教の教えに基づき殺生をできるだけ避けたいと思っています。
ですので、虫やほかの生きものを殺す農薬は農民が使いたがりません。』
農薬や化学肥料へと走り過ぎて、世界が今、戻って行こうとしているその場所に
彼らはどっしりと腰を据えている、そんな話のように聞こえてならなかった。
テントウムシモドキ
先日お客さんと一緒に出かけた農業公園でかなり大型のサルノコシカケを見つけた。
同行していたカビ、キノコの専門家に声をかけると、昆虫の専門家のお客さんともども
『腰掛け』部分の裏側を覗きこんでいる。
『腰掛け』を下から覗きこむなど、何やら不謹慎な行動だが、
そこによく虫が集まるというなら、これはしょうがない。
熱帯アジアで、サルノコシカケと言えば
一般には『バイオリンムシ』なんだそうだが、
今回は別の虫だった。
今度はベイビー
昨日に続いて英字紙「The Star」のオランウータン記事。
“First encounter turns into orang utan rescue mission”
『オランウータンとの最初の出会いが救出劇に』という感じか。
共産ゲリラとの数々の戦闘を経験した筋金入りの退役軍人が
サラワク州の州都クチンから200kmほどの道路わきで少年がオランウータンの
赤ん坊で遊んでいるのを発見。
オランウータン(厳重な保護動物)の飼育は法律で禁止されているので
少年から救出し、オランウータンのリハビリテーションセンターに
引き渡したという話。
軍人の功績を記述するほど、特に重要なニュースとは思えないが、
『どういう経緯で母親と離れることになったのか?』
にはやはり興味が沸く。
森林の伐採や山焼きなどではぐれた、というにはあまりにも幼い赤ちゃんという気がする。
母親が手元から離すはずがない、という観点からの意見である。
母親が死んで赤ちゃんだけがこの少年に拾われたのだろうか?
続報を待ちたい。
オランウータンコミュニティ
本日の英字紙「The Star」にこんな記事を見つけた。
“Rare Orang utan found in Borneo”
Webで探してみたところ、12日にAPが発表した記事のようで
タイトルも若干異なっている。
New Orang utan population found in Indonesia
ショウガの花の咲くころ
ショウガ科は世界中に53属200種類以上があると言われている。
熱帯ジャングルにはかかせない植物だ。
密林ジャーナルでも何度も取り上げているので
もしかすると重複するかもしれないが、花の形はランに似て
美しく、かつユニークだ。
また色鮮やかなものも多く、園芸品種になっているものも実は多い。
こんなに美しい花もあるのだ。
クルクマやアルピニアなどは切り花としてもよく見かける。
こけおどかしか、美か。
今日ほんとうに久しぶりに森に入ってきた。
新入のスタッフたちら9人を連れての
当社規定のジャングルオリエンテーションだ。
いつもの森に9時から2時までたったの5時間だが
体の中から嫌なものがすべて抜けた、そんな時間だった。
ヒルにも吸われて血もきれいになった、かな?
さて、今回見つけたのもクモ。